元キャンディーズのメンバーで、現在は女優や歌手として輝き続ける伊藤蘭さん。
その上品で穏やかな佇まいから、「実家はお金持ちなのでは?」という声が聞かれます。
この記事では、伊藤蘭さんの実家がお金持ちと言われる理由、華麗な家族構成、夫である水谷豊さんとの馴れ初めや子供に関する情報まで、気になる噂の真相を徹底的に解説します。
吉祥寺にあったとされる500坪の大邸宅の謎や、父親と疎遠だったという話の背景にも迫ります。
伊藤蘭の実家は本当にお金持ち?吉祥寺の500坪大邸宅の噂を徹底解説
伊藤蘭さんの実家が裕福であるという話は、多くの人が関心を寄せるテーマです。
その背景には、具体的なエピソードや華麗な家系図が存在します。
ここでは、実家がお金持ちと言われる理由や、かつて吉祥寺にあったとされる大邸宅について詳しく見ていきましょう。
お金持ちと言われる3つの理由を一覧で紹介
伊藤蘭さんの実家が「お金持ち」と言われるのには、主に3つの大きな理由があります。
- 曾祖父がエリート政治家だった
- 母方の実家が事業で成功していた
- 不動産を所有し資産運用を行っていた
これらは単なる噂ではなく、NHKの番組『ファミリーヒストリー』などで明かされた事実に基づいています。
一つ一つの理由を深掘りすることで、伊藤蘭さんが育った家庭環境の豊かさがより鮮明になります。
理由①:曾祖父・伊藤貞次は広島市長を務めたエリート政治家だった
伊藤蘭さんの父方の曾祖父(ひいおじいちゃん)は、伊藤貞次(いとう ていじ)さんという人物です。
貞次さんは苦学の末にキャリア官僚となり、内務省で勤務した後、第15代広島市長を務めたエリートでした。
市長退任後は旧満州で事業を手掛け、大きな成功を収めます。
その利益を元に、東京の吉祥寺に広大な土地と邸宅を構えたとされており、これが伊藤家の資産の礎となったようです。
政治家としての確固たる地位と事業家としての成功が、伊藤家が裕福であったことの何よりの証拠と言えるでしょう。
理由②:母方の実家は函館で繁盛した腕利きの仕立屋(テーラー)
父方だけでなく、母方の実家も経済的に非常に豊かでした。
伊藤蘭さんの母方の祖父は、北海道の函館で仕立屋(テーラー)を開業していました。
その腕前は素晴らしく、百貨店から次々と大口の注文が舞い込むほどの繁盛ぶりだったといいます。
函館大火で一度は店と家を失うという不幸に見舞われますが、すぐに事業を再建するほどの力強さと経済力を持っていました。
この商才と堅実な仕事ぶりが、母方の実家の豊かな暮らしを支えていたのです。
理由③:吉祥寺の広大な土地を活かしたアパート経営
曾祖父・貞次さんが築いた資産は、土地という形で受け継がれました。
戦後、多額の相続税を支払うために所有していた土地の一部を売却しますが、その資金を元手にアパートを購入し、家賃収入を得るという形で資産運用を行っていたそうです。
当時としては先見の明がある資産活用法であり、これにより安定した収入を確保し、家計を支えていました。
単に資産を持っているだけでなく、それを賢く運用する知恵があったことも、伊藤家の豊かさを示しています。
実家の場所はどこ?吉祥寺から西荻窪、武蔵境へと移転
伊藤蘭さんは、東京都武蔵野市吉祥寺北町の出身です。
かつて曾祖父が建てた約500坪もの大邸宅があったのもこの場所です。
その後、小学校5年生の頃に杉並区西荻北へ引っ越し、キャンディーズ時代はこの西荻窪の実家から通っていました。
当時はファンが実家まで訪ねてくることも日常茶飯事だったという、今では考えられないエピソードも残っています。
キャンディーズ解散後には、武蔵境へ引っ越したようです。
伊藤蘭の家族構成!父・母・兄はどんな人?

伊藤蘭さんの上品な人柄は、どのようなご家族に囲まれて育まれたのでしょうか。
ここでは、公務員だった父親、洋裁のプロだった母親、そしてシンガポール料理店を経営するお兄さんについて、その人柄やエピソードを交えて紹介します。
父親はどんな職業?厚生技官で「疎遠だった」という噂の真相
伊藤蘭さんの父親は、伊藤英邦(いとう ひでくに)さんという方です。
職業は公務員(厚生技官)で、千葉の役所に単身赴任していました。
精神疾患のある方などに絵や陶芸を教える仕事に携わっていたそうです。
戦時中は陸軍の技術研究所に勤めるなど、理系の優秀な人物でした。
伊藤蘭さんはテレビ番組で、単身赴任が長かったため「父のことは知らないことばかり」と語っており、これが「疎遠だった」という話につながったようです。
しかし、亡くなった後に父の姿を知り、見方が変わったとも話しています。
母親はどんな人?洋裁学校の教師でファンの間でも評判の優しい人柄
母親は、伊藤八重(いとう やえ)さんという方です。
自身も卒業した吉祥寺の洋裁学校で教師として働き、家計を支えました。
蘭さんが着ていた服のほとんどは母親の手作りだったそうで、その愛情の深さがうかがえます。
キャンディーズ時代に自宅に押しかけたファンにも優しく接し、顔なじみになった人もいたといいます。
その明るく穏やかな人柄は、多くの人に愛されていたようです。
伊藤蘭さんの優しさや品性は、このお母様から受け継がれたものなのかもしれません。
兄弟はいる?6歳上の兄が経営するシンガポール料理店「夢飯」とは
伊藤蘭さんには、6歳年上のお兄さんが一人います。
名前は伊藤路似(いとう るい)さんといい、現在は杉並区西荻窪で「夢飯(むーはん)」という人気のシンガポール料理店を経営されています。
2000年に開店して以来、20年以上も地元で愛され続ける名店です。
お兄さんもまた、手に職をつけた職人気質の方であり、伊藤家の堅実な家風がうかがえます。
伊藤蘭さんもきっと、お兄さんのお店の味を楽しまれていることでしょう。
夫・水谷豊との馴れ初めや結婚の決め手は?
芸能界きってのおしどり夫婦として知られる伊藤蘭さんと水谷豊さん。
二人の出会いから結婚に至るまでの道のり、そして円満な夫婦生活の秘訣は多くの人が気になるところです。
ここでは、二人の素敵な関係性に迫ります。
出会いのきっかけはドラマ「あんちゃん」での共演
二人の出会いは、1982年から放送されたドラマ『あんちゃん』(日本テレビ系)での共演がきっかけでした。
実は水谷豊さんは、伊藤蘭さんがキャンディーズとして活躍していた頃からの大ファン。
雑誌の撮影で一度会ったことはあったものの、緊張してほとんど話せなかったというエピソードもあります。
その後、俳優として再会し、共演を重ねる中で二人の距離は縮まっていきました。
結婚を決めた理由は?「人としても俳優としても尊敬できる人」
伊藤蘭さんは当初、結婚願望は全くなかったと語っています。
そんな彼女が水谷豊さんとの結婚を決めたのは、「人としても俳優としても尊敬できる人だと確信できたから」でした。
長い時間をかけて向き合う中で、同じ景色を見て感動したり、映画の感想が似ていたりと、価値観や感性が非常に近いことに気づいたそうです。
お互いを深く理解し、尊敬し合える関係性が結婚の決め手となりました。
結婚生活で喧謳は一度もない?おしどり夫婦のエピソード
1989年に結婚して以来、「一度も喧嘩をしたことがない」というのは有名な話です。
もちろん、子育て中には大変な時期もありました。
水谷さんの仕事が多忙を極め、疲労で何日も寝込んでしまう姿を見て、耐えきれず一度だけ実家に帰ったこともあったと、伊藤蘭さんはインタビューで明かしています。
しかし、それも深い愛情と信頼関係があってこその出来事。
お互いを尊重し、支え合う姿は、多くの人にとって理想の夫婦像と言えるでしょう。
伊藤蘭の子供は何人?息子が難病という噂の真実
伊藤蘭さんと水谷豊さんご夫妻の子供について、「息子がいる」「難病を患っている」といった様々な噂がインターネット上で見られます。
ここでは、子供の人数や性別、そして広まっている噂の真相について、事実に基づいて解説します。
子供は女優・趣里さんの一人娘のみ
伊藤蘭さんと水谷豊さんの間にいる子供は、現在女優として大活躍中の趣里(しゅり)さん、ただ一人です。
息子はいません。
趣里さんは1990年生まれで、幼少期からクラシックバレエを習い、海外留学も経験しました。
怪我でバレリーナの夢を断念した後、女優の道へ進み、2023年度後期のNHK連続テレビ小説『ブギウギ』ではヒロインを見事に演じきりました。
なぜ「息子がいる」「難病」というデマが広まったのか?
では、なぜ「息子がいる」「難病」といった事実無根の噂が広まったのでしょうか。
これにはいくつかの要因が複合的に絡んでいます。
- 趣里さんの元交際相手の存在: 過去に趣里さんと交際していた俳優の田島亮さんの情報が、一部で「水谷豊の息子」と誤って伝えられました。
- プライベートの非公開: 家族に関する情報公開が少ないため、憶測が広まりやすかった。
- ネット記事の見出し: 一部のメディアが注目を集めるために「息子は?」といった煽情的な見出しを使ったことも、誤解を助長しました。
これらの情報が独り歩きし、「息子が難病」という根も葉もない噂にまで発展してしまったのが真相です。
水谷豊の前妻ミッキー・マッケンジーとの間に子供はいた?
水谷豊さんは伊藤蘭さんと結婚する前に、アメリカ人女優のミッキー・マッケンジーさんと一度結婚しています。
二人の結婚生活は1982年から1986年までの約4年間でした。
この結婚期間中に、二人の間に子供は生まれていません。
ただし、ミッキーさんは第一子を妊娠中に流産するという辛い経験をされたことを明かしています。
したがって、水谷豊さんの子供は趣里さん一人ということになります。
伊藤蘭のプロフィールまとめ!本名や経歴は?
ここでは、伊藤蘭さんの基本的なプロフィール、名前の由来に関するユニークなエピソード、そして輝かしい経歴を改めてご紹介します。
彼女の魅力をより深く知ることで、これまでの話がさらに興味深くなるはずです。
伊藤蘭の本名は「水谷蘭(旧姓:伊藤)」
伊藤蘭さんの本名は、結婚後の姓である「水谷」と、ご自身の名前である「蘭」を合わせた「水谷 蘭(みずたに らん)」です。
旧姓は、もちろん「伊藤」です。
芸能活動では、デビュー以来変わらず「伊藤蘭」の名前で活躍されています。
祖父の雅号(ペンネーム)も「伊藤蘭」だった驚きのエピソード
「蘭」という名前は、蘭の花が好きだった父方の祖父・太郎さんが名付けました。
驚くべきことに、この祖父・太郎さんは画家としても活動しており、その際の雅号(ペンネーム)がなんと「伊藤蘭」だったそうです。
この事実は、NHKの番組『ファミリーヒストリー』で初めて明かされ、伊藤蘭さん自身も「初めて聞きました!」と大変驚いていました。
親子三代にわたる、不思議で素敵な縁を感じさせるエピソードです。
キャンディーズから女優へ、デビュー50周年を迎えた現在の活動
1972年に「キャンディーズ」のメンバーとしてデビューし、「ランちゃん」の愛称で国民的アイドルとなりました。
1978年の劇的な解散後は女優に転身し、数多くの映画やドラマ、舞台で高い評価を獲得します。
そして2019年、41年ぶりにソロ歌手として活動を再開。
デビュー50周年を迎えた2023年には、ソロとして初のNHK紅白歌合戦出場を果たすなど、今なお多くのファンを魅了し続けています。
まとめ:伊藤蘭の実家や金持ちと言われる背景
- 伊藤蘭の実家がお金持ちと言われる理由は、曾祖父が広島市長、母方の実家が仕立屋で成功、不動産経営をしていたためである
- 実家は東京都武蔵野市吉祥寺にあり、かつては約500坪の大邸宅であった
- 父親は公務員(厚生技官)で単身赴任が多く、母親は洋裁学校の教師であった
- 6歳年上の兄が一人おり、杉並区でシンガポール料理店を経営している
- 夫は俳優の水谷豊で、ドラマ「あんちゃん」での共演が馴れ初めである
- 結婚の決め手は、水谷豊を人として、俳優として尊敬できたことである
- 子供は女優の趣里さん一人娘であり、息子はいない
- 「息子が難病」という噂は、趣里さんの元交際相手の情報などが誤って広まったデマである
- 水谷豊の前妻との間に子供はいない
- 本名は「水谷蘭(みずたに らん)」で、旧姓は伊藤である