2026年ミラノ・コルティナ五輪で日本フィギュアスケート史上初となるペア金メダルを獲得した「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一ペア。
歴史的快挙の裏には、それぞれが以前組んでいた元ペアとの経験が大きく影響しています。
木原龍一選手の元パートナーである高橋成美さんや須崎海羽さんとはなぜ解散したのか、三浦璃来選手の前のパートナーは誰だったのか。
気になる解散理由や当時の戦績、そして元パートナーたちの現在の姿まで、この記事ではりくりゅうの前のペアにまつわる全情報を時系列で詳しく解説していきます。
りくりゅうの前のペアとは?木原龍一と三浦璃来それぞれの歴代パートナー一覧
りくりゅうの2人は、2019年にペアを結成する以前にそれぞれ別のパートナーと組んでいました。
木原龍一選手には2人の元ペアパートナーがおり、三浦璃来選手にも1人の元パートナーがいます。
以下の表で、歴代パートナーの全体像を整理します。
| 選手 | 元パートナー | ペア期間 | 主な出場大会 |
|---|---|---|---|
| 木原龍一 | 高橋成美 | 2013年〜2015年 | 2014年ソチ五輪 |
| 木原龍一 | 須崎海羽 | 2015年〜2019年 | 2018年平昌五輪 |
| 三浦璃来 | 市橋翔哉 | 2015年頃〜2019年7月 | 2018年世界ジュニア選手権 |
木原選手は高橋成美さん、須崎海羽さんという2人のパートナーとオリンピックに出場した経験を持っています。
一方の三浦選手は、ジュニア時代に市橋翔哉選手とペアを組み、国内外の大会で経験を積みました。
りくりゅう結成に至るまでの道のりを理解するには、それぞれの元ペアとの歩みを知ることが欠かせません。
木原龍一の最初の元ペア・高橋成美との歩み
高橋成美のプロフィールと経歴
高橋成美さんは1992年1月15日生まれ、千葉県出身のフィギュアスケート選手です。
3歳でスケートを始め、父親の転勤に伴い9歳から約5年間を中国で過ごしました。
中国滞在中にシングルからペアへ転向し、のちにカナダ出身のマーヴィン・トラン選手とペアを結成しています。
トラン選手とのペアでは2012年の世界選手権で銅メダルを獲得しており、日本のペア競技として史上初のメダルという快挙を成し遂げました。
学歴面でも渋谷教育学園幕張高等学校から慶應義塾大学に進み、10年かけて卒業した努力家として知られています。
日本語を含む8カ国語を操る語学力も大きな話題となっており、中国語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語、ロシア語、韓国語を使いこなします。
高橋成美が木原龍一をパートナーに選んだ理由
高橋成美さんがマーヴィン・トラン選手とのペアを解消したのは、2012年12月のことでした。
方向性の違いが解消の理由とされています。
新たなパートナー探しが始まる中で高橋さんが思い出したのは、2011年に日本スケート連盟が主催したペアトライアルで木原選手と一緒に滑ったときの「手の感触」だったと報じられています。
当時の木原選手は男子シングルの選手でしたが、175cmの身長やペアに向いた体格が高橋さんの目に留まりました。
日本スケート連盟もソチ五輪の団体戦に向けたペア強化を進めており、連盟の協力のもと木原選手を説得する形でペア結成に至っています。
2013年1月30日、日本スケート連盟から正式にペア結成が発表されました。
ソチ五輪での成績と2人の戦績
高橋成美・木原龍一ペアは、結成からわずか約1年でソチ五輪出場を果たしています。
ネーベルホルン杯では11位にとどまったものの、他国の枠返上による繰り上がりで出場権を獲得しました。
2014年ソチ五輪での具体的な成績は次の通りです。
団体戦ではショートプログラム46.56点で10組中8位、フリースケーティング86.33点で5組中5位という結果でした。
個人戦ではショートプログラム18位に終わり、上位16組によるフリーには進めていません。
日本人同士のペアが五輪に出場したのは約16年ぶりだったため、成績以上に大きな歴史的意義を持つ出場でした。
高橋成美と木原龍一の解散理由
高橋成美・木原龍一ペアの解散理由は、公式には詳細が発表されていません。
2014-2015シーズンを最後にペアは解消されています。
高橋さんは後年のインタビューで「成績に追われる生活に正直疲れた」という趣旨の発言をしており、競技生活における精神的な負担が一因だったと考えられます。
また、木原選手はシングルからペアへ転向してまだ日が浅く、ペア特有の技術習得が発展途上にあったことも背景にあったとみられています。
結成からわずか約2年という短い期間での解散でしたが、高橋さんが木原選手をペアの世界に導いた功績は計り知れません。
この出会いがなければ、のちのりくりゅう結成も実現しなかった可能性があります。
木原龍一の2人目の元ペア・須崎海羽との歩み
須崎海羽のプロフィールと経歴
須崎海羽さんは1999年12月15日生まれ、愛知県名古屋市出身のフィギュアスケート選手です。
中京大学附属中京高等学校を卒業後、中京大学に進学してスポーツ科学を専攻しました。
2015年6月に木原龍一選手とのペア結成が発表され、当時まだ10代半ばだった須崎さんは若くしてシニアの国際舞台に挑むことになります。
平昌五輪での成績と2人の戦績
須崎海羽・木原龍一ペアは、2017年と2018年の全日本選手権で連覇を達成しています。
2018年の平昌五輪にも日本代表として出場を果たしました。
平昌五輪での成績は以下の通りです。
個人戦ではショートプログラムで自己最高の57.74点を記録したものの、22組中21位という順位にとどまり、上位16組によるフリーには進めませんでした。
団体戦ではフリースケーティングに出場し、97.67点で5位という結果になっています。
ソチ五輪の高橋成美・木原龍一ペアと同様に、個人戦ではフリーに進出できないという厳しい現実を経験しました。
須崎海羽と木原龍一の解散理由
須崎海羽・木原龍一ペアの解散には、木原選手の度重なる怪我が大きく関わっています。
2018-2019シーズン、ツイストリフトの練習中に木原選手が脳震盪を負いました。
この影響で2019年2月の四大陸選手権と3月の世界選手権を連続で欠場しています。
それ以前から木原選手は肩の怪我も慢性的に抱えており、コンディション面での不安が拭えない状況が続いていました。
2019年4月8日にペア解消が正式に発表され、木原選手は「肩の治療を第一に考える」とコメントを出しています。
須崎さんは公式ブログで木原選手の回復を祈る言葉を綴っており、解散が円満な形で行われたことがうかがえます。
国際大会での成績が伸び悩んでいたことに加え、怪我の慢性化による将来への不安が、ペア解消の決定的な要因だったと考えられています。
三浦璃来の前のペア・市橋翔哉との歩み
市橋翔哉のプロフィールとペア時代の戦績
市橋翔哉選手は1997年11月5日生まれ、広島県出身のフィギュアスケート選手です。
三浦璃来選手とは2015年頃にペアを結成し、当時は同じ練習拠点で活動していたことがきっかけでした。
2人はジュニアカテゴリーで着実に結果を残しています。
2017年の全日本ジュニア選手権で優勝を果たし、2018年の世界ジュニア選手権では10位に入賞しました。
日本のジュニアペアとして国際舞台で経験を積み、将来を期待されるペアの一つだったといえます。
三浦璃来と市橋翔哉の解散理由
三浦璃来・市橋翔哉ペアは2019年7月にペア解消を発表しました。
解散理由については明確に公表されておらず、かなり突然の発表だったと報じられています。
時期的には須崎海羽・木原龍一ペアの解消(2019年4月)から間もない時期にあたり、2019年8月のりくりゅう結成とも近接しています。
こうした時系列から、新たなペア編成の動きが解消の背景にあったと推測する声も見られますが、当事者からの公式な説明はありません。
市橋翔哉の現在
市橋翔哉選手は三浦璃来選手との解消後、柚木心結選手と新たにペアを組みました。
しかし2022年11月に「一身上の都合」を理由に柚木選手とのペアも解消しています。
その後2023年2月26日、自身のSNSで約16年間にわたる競技スケートからの引退を発表しました。
現在は関西大学社会安全学部に在学しているとされています。
りくりゅう結成の経緯と前のペアとの関係
引退寸前だった木原龍一のアルバイト時代
須崎海羽選手とのペア解消後、木原龍一選手は引退をも考えていた時期がありました。
2019年春に海外の拠点から帰国した木原選手は、地元・名古屋のスケートリンク「邦和みなとスポーツ&カルチャー」で練習を再開するとともに、自ら志願してアルバイトを始めています。
仕事内容はスケート靴の貸し出しや氷上の監視員業務、併設された宿泊施設のフロント業務でした。
週に3回ほどシフトに入り、1日6〜8時間の勤務をこなしながら練習を続ける日々を送っています。
当時の同僚からは「小さい子供にも敬語で接する誠実な人柄」だったと語られており、苦しい時期にあっても真摯に日々を過ごしていた姿が伝わってきます。
シングル時代に61kgだった体重をペア用に77kg超まで増やす肉体改造にも取り組んでおり、プロテインの過剰摂取で嘔吐を繰り返すほど過酷だったと報じられています。
コーチの提案から始まった「奇跡の出会い」
りくりゅう結成のきっかけとなったのは、カナダ人コーチのブルーノ・マルコット氏の提案でした。
2019年夏、ナショナルトレーニングセンターの強化拠点だった中京大学で、三浦・市橋組のジュニア合宿と同時開催のトライアルが行われました。
マルコット氏は木原選手に三浦選手とペアを組むよう依頼し、オーディションを実施しています。
初めて一緒に滑った際に「最高の相性」と評価され、カナダへの移住を勧められました。
木原選手本人も強い手応えを感じ、三浦選手との新たな挑戦を決意しています。
2019年8月にペア結成が正式に発表され、同年12月の全日本選手権では初出場にして優勝を飾りました。
前のペアでの経験がりくりゅうにもたらしたもの
りくりゅうの成功は、前のペアでの経験なくしては語れません。
木原選手は高橋成美さんとのペアでシングルからの転向を果たし、ペアの基礎技術や国際大会の経験を積みました。
須崎海羽さんとのペアでは全日本選手権連覇を達成し、2度目のオリンピック出場で競技者としての地力を蓄えています。
三浦選手もまた、市橋翔哉選手とのジュニア時代の経験を通じてペアスケーティングの基本を身につけました。
こうした蓄積があったからこそ、りくりゅう結成後のわずか数年で世界トップレベルまで駆け上がることができたのです。
元パートナーたちの現在と最新の動向
高橋成美の現在:解説者・JOC理事としての活躍
高橋成美さんは2018年に現役を引退し、フィギュアスケートの解説者として活動しています。
日本オリンピック委員会(JOC)の理事も務めており、競技の枠を超えた活躍を見せています。
2026年ミラノ・コルティナ五輪ではNHKの中継で解説を担当しました。
りくりゅうが金メダルを決めたフリーの演技では解説席で号泣し、「宇宙一すごい」「こんな最高の気分に合う日本語なんて思いつかない」と言葉を詰まらせながら語っています。
演技直後のインタビューでは木原選手が高橋さんに向けて涙ながらに感謝を伝える場面があり、視聴者の感動を呼びました。
SNS上では「成美ちゃんから始まった物語」「すてきな解説」と絶賛する声が相次ぎ、高橋さんの経歴に改めて注目が集まっています。
須崎海羽の現在:臨床心理学の道へ
須崎海羽さんはペア解消後、競技の第一線からは退いています。
中京大学スポーツ科学部を卒業した後、法政大学現代福祉学部臨床心理学科に進学しました。
2026年2月17日、りくりゅうの金メダル獲得を受けて須崎さんはInstagramのストーリーズを更新しています。
投稿内容は国際スケート連盟(ISU)によるりくりゅうの金メダル写真のみで、言葉は添えられていませんでした。
メディアはこの投稿を「無言の歓喜」と報じており、夢が叶わなかった元パートナーの複雑な胸中を察する声がSNS上で多数寄せられています。
ミラノ五輪で注目された元パートナーたちの存在
2026年ミラノ・コルティナ五輪でのりくりゅうの金メダル獲得は、元パートナーたちの存在を改めてクローズアップする結果となりました。
高橋成美さんの解説は放送直後からSNSでトレンド入りし、8カ国語を操る語学力や渋谷教育学園幕張高校から慶應義塾大学に進んだ経歴が「スーパー才女」として大きな反響を呼んでいます。
須崎海羽さんの無言の投稿も報道各社が取り上げ、かつてのパートナーとの絆が注目されました。
「高橋成美さんが木原選手をペアの世界に導かなければ、りくりゅうは存在しなかった」という論調は多くのメディアで繰り返し紹介されており、日本ペアフィギュアの歴史を紡いできた先人たちへの敬意が改めて示されています。
日本ペアフィギュアの歴史を紡いだ先駆者たち
井上怜奈・川口悠子から高橋成美へ受け継がれたバトン
日本のペアフィギュアスケートは、長年にわたり男子選手の人材不足に悩まされてきました。
井上怜奈選手はアメリカ国籍を取得してアメリカ代表として五輪に出場し、川口悠子選手はロシア代表として2010年バンクーバー五輪に出場しています。
実力ある日本の女子選手が海外に流出せざるを得ない状況が長く続いていたのです。
そうした中で高橋成美さんはマーヴィン・トラン選手と組んで2012年世界選手権銅メダルを獲得し、日本のペア競技に大きな足跡を残しました。
ただしトラン選手はカナダ国籍だったため、国籍条件の関係で日本代表としての五輪出場は叶いませんでした。
この経験が、日本人同士のペアで五輪を目指すという決意につながり、木原龍一選手をペアの世界に招き入れる契機となっています。
りくりゅうの金メダルが持つ歴史的意義
りくりゅうの金メダルは、日本のペアフィギュアスケートにおいて初めてのオリンピックメダルです。
しかもフリースケーティング158.13点という世界歴代最高得点での金メダルであり、ショートプログラム5位からの大逆転劇でもありました。
この偉業の背景には、井上怜奈選手や川口悠子選手が道を切り拓き、高橋成美さんが日本人ペアのドアを開け、須崎海羽さんとの経験で木原選手が成長を重ねてきたという連綿とした歴史があります。
高橋成美さん自身も解説の中で「日本のペアの先輩方に憧れていた」と語っており、先駆者たちから代々紡がれてきたバトンがりくりゅうの手で花開いたと広く認識されています。
りくりゅうの前のペアに関するよくある疑問
木原龍一はなぜシングルからペアに転向したのか?
木原龍一選手がペアに転向した理由は、高橋成美さんからの打診と日本スケート連盟のペア強化方針が重なったためです。
シングル時代の木原選手は全日本選手権に3年連続で出場していましたが、いずれも12位前後という成績でした。
2013年1月の国体を最後にシングルからの転向を決断しています。
本人は「シングルが行き詰まっていた。
ペアが競技生活を長く続けるための一つの手だった」という趣旨の発言を残しており、現状を打破するための選択だったことがうかがえます。
前のペアでは2大会連続でフリーに進めなかったのは本当か?
事実として、木原龍一選手は前のパートナーと出場した2回のオリンピックで、いずれもペア個人戦のフリーに進出できていません。
2014年ソチ五輪では高橋成美さんとのペアでショートプログラム18位、2018年平昌五輪では須崎海羽さんとのペアで21位という結果でした。
フリーに進めるのは上位16組のみであるため、2大会連続で上位16組に届かなかったことになります。
木原選手自身も「20歳でペアに転向するのは無謀だったのかな」「シングルのままが良かったのでは」と悩んだ時期があったと述懐しています。
しかし2022年の北京五輪では三浦選手とのペアで7位に入り、日本ペア初の入賞を果たしました。
そして2026年のミラノ五輪での金メダルへとつながっています。
高橋成美と木原龍一の現在の関係は良好か?
ミラノ五輪での一連のやり取りからも明らかなように、2人の関係は非常に良好です。
高橋さんはNHKの解説席からりくりゅうの演技を見守り、涙を流しながら称賛の言葉を送りました。
木原選手も演技後のインタビューで高橋さんに感謝を伝え、2人で涙を流す場面が放送されています。
高橋さんは過去のインタビューで「私が味わいたかったのにって未練たっぷりでした」と率直な思いを語りつつも、木原選手の成長を「単純に感動した」「嫉妬心は消えた」と語っていました。
11年前にペアを解消した元パートナーの金メダルを解説席で見届けるという稀有な体験は、多くの視聴者の心に深く刻まれています。
まとめ:りくりゅうの前のペアが紡いだ金メダルへの道
- 木原龍一の元ペアパートナーは高橋成美(2013〜2015年)と須崎海羽(2015〜2019年)の2人である
- 三浦璃来の前のパートナーは市橋翔哉で、2015年頃から2019年7月までジュニアカテゴリーで活動していた
- 高橋成美がマーヴィン・トランとのペア解消後に木原をペアの世界に導いたことが、りくりゅう誕生の出発点となった
- 高橋成美・木原龍一ペアは2014年ソチ五輪に出場したが、個人戦SP18位でフリーには進めなかった
- 須崎海羽・木原龍一ペアは2018年平昌五輪に出場し、個人戦SP21位でやはりフリー進出は叶わなかった
- 須崎との解散理由には木原の脳震盪や肩の怪我の慢性化が大きく関わっている
- ペア解消後の木原はスケートリンクで週3回のアルバイトをしながら練習を続け、引退寸前だった
- カナダ人コーチのブルーノ・マルコットの提案により三浦と出会い、2019年8月にりくりゅうが結成された
- 高橋成美は現在JOC理事・解説者として活躍し、ミラノ五輪のNHK解説で号泣する姿が大きな反響を呼んだ
- りくりゅうの金メダルは井上怜奈・川口悠子・高橋成美ら先駆者が紡いできた日本ペアフィギュアの歴史の結実である

