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りくりゅうの全日本での全成績と五輪金メダルへの軌跡とは

「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一ペアは、日本フィギュアスケートのペア競技に革命を起こした存在です。

全日本フィギュアスケート選手権での圧倒的な強さ、脱臼しながらも滑り切った伝説的なエピソード、そして2026年ミラノ・コルティナ五輪での金メダル獲得まで、二人の歩みは多くの感動を呼んできました。

しかし、輝かしい成績の裏には、怪我による欠場や棄権、観客がまばらだったペア競技の「冬の時代」など、数々の苦難があったことも忘れてはなりません。

この記事では、りくりゅうと全日本選手権の関わりを軸に、ペア結成から五輪金メダルまでの全軌跡を時系列で追いながら、世界的な評価、採点をめぐる議論、国産ブレードの秘密、そして今後の展望まで網羅的にお伝えしていきます。

目次

りくりゅうとは?三浦璃来・木原龍一ペアの基本プロフィール

二人の年齢・出身地・所属と9歳差ペアが生まれた経緯

「りくりゅう」とは、フィギュアスケート・ペアの三浦璃来選手と木原龍一選手の愛称です。

三浦璃来選手は2001年12月17日生まれの兵庫県宝塚市出身で、身長は146cm。

一方の木原龍一選手は1992年8月22日生まれの愛知県東海市出身で、身長は175cm前後とされています。

二人の年齢差は9歳で、所属はともに木下グループです。

2019年夏、木原選手が前パートナーとのペア解消後に引退を考えていた時期に三浦選手と出会ったことが、このペア誕生のきっかけとなりました。

当時、木原選手は周囲に「全日本選手権にシングルで出て引退かな」と漏らしていたと報じられており、二人の出会いはまさに運命的だったといえるでしょう。

シングル選手からペア転向に至るまでの道のり

木原選手は4歳でスケートを始め、もともと男子シングルの選手として活動していました。

全日本ノービスBで優勝するなど早くから才能を見せていましたが、シニアの全日本選手権では3年連続12位という壁にぶつかります。

2013年にペア競技へ転向し、高橋成美選手と組んで2014年ソチ五輪に出場しました。

その後、須崎海羽選手とペアを結成し、2018年平昌五輪にも出場しています。

ただし、ペア転向後もしばらくは苦戦が続き、28歳頃までアルバイトをしながら競技を続けていたと伝えられています。

体重も16kg増量し、洋服のサイズがSからXLに変わるほど肉体改造に取り組んだエピソードは、ペア競技への本気度を物語っています。

三浦選手もまた、5歳でスケートを始めた女子シングル出身の選手でした。

ジュニア時代には市橋翔哉選手と組んでペア競技に挑戦し、全日本ジュニア選手権で優勝した経験を持っています。

コーチ陣と練習拠点はカナダと日本の二拠点体制

りくりゅうを指導するのは、カナダ人コーチのブルーノ・マルコット氏を筆頭とするチームです。

元五輪メダリストのメーガン・デュハメル氏やブライアン・シェイルズ氏もコーチ陣に名を連ねています。

主な練習拠点はカナダ・オンタリオ州のオークビルで、日本では大阪府高槻市でも練習を行う二拠点体制を採用しています。

ブルーノコーチはりくりゅうの強みとして「正しいタイミングでピークを迎える力」を挙げており、精神面・技術面の双方で二人を導いてきた名将として知られています。

りくりゅうの全日本選手権における歴代成績まとめ

ペア結成初年度に全日本で初優勝を果たした2019年シーズン

りくりゅうは、ペアを結成した初年度の2019-20シーズンにいきなり全日本選手権で優勝を飾りました。

合計170.11点(SP 53.95点、フリー 116.16点)での頂点は、結成直後のペアとしては異例の快挙でした。

このシーズンはNHK杯にも出場して5位に入り、四大陸選手権では8位と国際大会での経験も積んでいます。

初年度から国内トップに立ったことは、二人のポテンシャルの高さを証明するものだったといえるでしょう。

さいたま・大阪など各開催地での全日本の戦績一覧

りくりゅうの全日本選手権における年度別の成績を一覧でまとめます。

シーズン 結果 備考
2019-20年 優勝(170.11点) ペア結成初年度
2020-21年 出場(コロナ禍で国際大会中心) 世界選手権10位
2021-22年 優勝 北京五輪代表選考を兼ねる
2022-23年 優勝 年間グランドスラム達成シーズン
2023-24年 欠場 木原選手の腰椎分離症のため
2024年12月(第93回) 優勝(SP 74.16点で首位) 大阪・東和薬品ラクタブドーム
2025年12月(第94回) SP首位もフリー棄権 三浦選手の左肩脱臼のため

さいたまや大阪をはじめとした各開催地で、りくりゅうは出場するたびにペア部門の頂点に立ち続けてきました。

欠場と棄権を除けば、出場した全大会で優勝しているという圧倒的な国内戦績が際立ちます。

全日本選手権ペア通算優勝6回は歴代最多クラスの記録

木原龍一選手の全日本選手権ペア部門における通算優勝回数は6回に達しています。

内訳は、須崎海羽選手との組で1回(2017-18年シーズン)、三浦璃来選手との組で5回です。

この数字は歴代でも最多クラスの記録であり、日本のペア競技における木原選手の存在感がいかに突出しているかを示しています。

三浦選手にとっても、ジュニア時代の優勝を含めれば国内大会での勝負強さは折り紙つきです。

全日本選手権で棄権に至った脱臼アクシデントの全貌

6分間練習中に三浦璃来の左肩が脱臼した瞬間の経緯

2025年12月20日、全日本選手権のSP直前に行われる6分間練習中に、三浦璃来選手の左肩が脱臼するアクシデントが発生しました。

リンクサイドではトレーナーとコーチがすぐに駆けつけ、肩を入れ直す処置が施されています。

激痛が走る中、三浦選手は「棄権はないです。

出るしかない」と出場を即座に決断しました。

この判断は、五輪シーズンの最終選考を兼ねた重要な大会であったこと、そしてパートナーへの信頼があったからこそ下せたものだったのでしょう。

棄権せずSPを滑り切り世界歴代最高超えの衝撃

痛みが残る状態のまま演技に臨んだ三浦選手でしたが、ツイストリフトやデススパイラルなど全ての要素でGOE(出来栄え点)の加点を獲得しています。

結果は84.91点という驚異的なスコアでした。

この点数は、当時のISU公認SP世界最高である84.41点を上回るものです。

ただし、全日本選手権はISU非公認大会であるため、正式な世界記録としては認められていません。

それでも、脱臼直後にこの得点を叩き出した事実は、国内外で大きな衝撃を持って受け止められました。

翌日のフリーを棄権した判断と五輪代表選出までの流れ

翌12月21日、日本スケート連盟は三浦璃来選手の左肩負傷を理由に、りくりゅうのフリー棄権を発表しました。

SP首位に立っていたため全日本連覇の可能性がありましたが、五輪に向けて大事を取るという苦渋の決断が下されています。

この棄権によって全日本選手権の優勝はならず、ペアの優勝は「ゆなすみ」こと長岡柚奈・森口澄士組の手に渡りました。

しかし、りくりゅうはそれまでの国際大会での実績(世界選手権2回優勝、GPファイナル優勝など)が評価され、ミラノ・コルティナ五輪の日本代表に無事選出されています。

12月28日にはカナダで練習を再開したことがブルーノコーチから確認されており、五輪に向けた調整は順調に進められました。

木原龍一が全日本を欠場した腰椎分離症シーズンの裏側

2023年秋に腰椎分離症が発覚しGPシリーズも欠場へ

りくりゅうにとって試練となったのが、2023-24シーズンでした。

2023年9月のオータムクラシックで2位となった直後、木原龍一選手に腰椎分離症が発覚しています。

腰椎分離症とは、腰の骨の一部に亀裂が生じる疾患で、ジャンプやリフトなど腰に大きな負担がかかるペア競技では致命的な怪我です。

この影響でGPシリーズ2戦を欠場し、11月に予定されていたNHK杯も出場できませんでした。

欠場の理由は「木原龍一の腰椎分離症が完治していないため」と日本スケート連盟から発表されています。

全日本選手権を欠場した際のペアとしての苦悩

怪我の回復が間に合わず、2023年12月の全日本選手権も欠場となりました。

木原選手がひとりで練習する姿を見て、三浦選手は「悲しくなった」と語っており、パートナーの不在が精神面でも大きな負担になっていたことがうかがえます。

前シーズンに世界選手権を制した王者が全日本に姿を見せないという事態は、ファンにとっても衝撃的な出来事でした。

木原選手自身は「必ず戻ってくるので待っていてほしい」というメッセージを発信し、復帰への強い意志を示しています。

四大陸選手権での復帰戦から世界選手権2位までの復活劇

約4か月半のブランクを経て、りくりゅうが実戦復帰を果たしたのは2024年2月の四大陸選手権でした。

復帰戦ながら2位という結果を残し、木原選手は「痛みはもうゼロ」とコンディションの回復をアピールしています。

続く2024年3月の世界選手権では合計217.88点で2位に入り、フリーでは1位の144.35点を記録しました。

怪我を乗り越えて世界の表彰台に戻ってきたことは、りくりゅうの底力を改めて証明するものだったといえるでしょう。

全日本からミラノ五輪金メダルへ至るシーズンの全記録

GPファイナル優勝で全日本に王者として乗り込んだ勢い

2025-26シーズンのりくりゅうは、序盤から好調を維持していました。

GPシリーズで安定した成績を収め、12月のGPファイナルでは2大会ぶり2度目の優勝を達成しています。

名古屋のIGアリーナで行われたこの大会で頂点に立ったことにより、勢いそのままに全日本選手権へと乗り込む形になりました。

結果的にはSP首位ながらフリー棄権という結末でしたが、GPファイナル王者としての実力は揺るぎないものだったのです。

団体戦でSP・フリーともにペア種目1位を獲得した貢献

2026年2月に開幕したミラノ・コルティナ五輪で、りくりゅうはまず団体戦に出場しました。

SPでは82.84点という自己ベストを更新し、世界歴代3位の高得点でペア種目トップとなっています。

この結果により、日本チームに最高の10ポイントをもたらしました。

さらにフリーでも155.55点の自己ベストを記録し、再びペア種目1位を獲得しています。

日本はフィギュアスケート団体戦で2大会連続の銀メダルを手にしましたが、りくりゅうの貢献は極めて大きなものでした。

個人戦SP5位からフリー世界最高158.13点で大逆転した詳細

団体戦の勢いで臨んだ個人戦SPでしたが、ここで予想外の事態が起こります。

2月15日のSPでリフトにミスが出てしまい、73.11点で5位発進となりました。

首位のドイツ・ハーゼ/ボロディン組との差は6.90点と大きく開いています。

ペア競技でリフトのミスが出ることは非常に珍しく、専門家の間でも「長年フィギュアスケートを見てきた中でほとんど見たことがない」と指摘されるほどでした。

木原選手は演技直後に約10秒間動けず硬直し、精神的にも大きなダメージを受けたことが伝えられています。

しかし翌2月16日のフリーで、りくりゅうは圧巻の演技を披露しました。

序盤の3連続ジャンプを完璧に決め、SPで失敗したリフトも成功させると、ノーミスのまま演技を終えています。

スコアは158.13点で、ロシアのミーシナ/ガリアモフ組が2022年欧州選手権で記録した157.46点を上回る、フリーの世界歴代最高得点を更新しました。

合計231.24点の内訳と史上最大の点差逆転が生まれた理由

フリーの158.13点とSPの73.11点を合わせた合計231.24点は、自己ベストを大幅に更新し、世界歴代5位に位置するハイスコアでした。

SP5位から6.90点差をひっくり返しての金メダルは、現行のISUジャッジングシステム導入以降、最大の点差からの逆転優勝と報じられています。

逆転が可能になった最大の要因は、フリーでの出来栄え点(GOE)の高さです。

全てのエレメンツで大きな加点を引き出し、GOEだけで20点以上が加算されたことが、歴史的なスコアにつながりました。

団体戦から個人戦にかけて計4回の演技を行い、そのうち3回で自己ベストを更新するという驚異的な安定感も、金メダルを引き寄せた要因の一つです。

りくりゅうの得点に対する海外の評価と採点をめぐる議論

銀銅メダルペアが語った「得点に値する」という擁護の声

りくりゅうのフリー世界最高得点に対しては、同じ表彰台に立った選手たちから支持の声が上がっています。

銀メダルと銅メダルを獲得したペアは、「彼らは得点に値する」と明確にりくりゅうの演技と採点を擁護しました。

実際に演技を間近で見たライバルたちの言葉は、採点の妥当性を裏付ける説得力あるものだったといえるでしょう。

ロシア側の批判的な反応とタラソワ氏による絶賛の温度差

一方、ロシア側からは批判的な声も上がりました。

ロシアメディア「スポーツ」によると、ロシアの元五輪王者がりくりゅうの得点に対し「明らかにやりすぎだ。

フリーで158点はこのペアにふさわしくない」と怒りを表明しています。

ロシア日刊紙「モスクワ・コムソモーレツ」も「審判団が日本人スケーターを表彰台へ押し上げた」と疑念を呈する記事を掲載しました。

しかし、ロシアのフィギュアスケート界の重鎮であるタチアナ・タラソワ氏は全く異なる見解を示しています。

タス通信を通じて「まさに世界新記録に値するパフォーマンスだった」「このようなペアはそうそう現れない」と絶賛しており、ロシア国内でも評価が大きく割れている状況です。

NYタイムズ投稿2000万再生など世界的な反響の広がり

りくりゅうの金メダルは欧米メディアでも大きく取り上げられました。

ニューヨーク・タイムズがX(旧Twitter)に投稿した演技のハイライト動画は、2000万再生を突破するという驚異的な拡散を見せています。

コメント欄には「ただただ伝説的」「ギリシャ彫刻のようだ」といった称賛が世界中のユーザーから寄せられました。

BBCも「失意の5位から逆転」と詳報を掲載し、イタリアの現地メディアは「マジカルなペア」と表現しています。

また、米メディアでは「実生活でもカップルなのか」と二人の関係性への関心も報じられるなど、競技面を超えた注目が集まっているのも特徴的です。

全日本のペア「冬の時代」をりくりゅうはどう変えたのか

観客ガラガラだった全日本ペア部門の知られざる過去

日本のペア競技は長い間、「冬の時代」と呼ばれる低迷期にありました。

全日本選手権のペア部門でさえ、出場ペアが1〜2組しかいない年もあり、観客席はガラガラだったと報じられています。

シングル種目と比較すると注目度は圧倒的に低く、テレビ中継でもペアが大きく取り上げられることは稀でした。

りくりゅうの二人はこうした状況を強く認識しており、「結果を出さないと注目してもらえない。

結果を出し続けることが日本のペアの未来につながると信じている」と繰り返し語ってきました。

「ゆなすみ」の台頭と日本ペア史上初の五輪2枠獲得

りくりゅうの活躍によってペア競技への関心が高まる中、後進の成長も目覚ましいものがあります。

「ゆなすみ」こと長岡柚奈・森口澄士組は、2025年9月の五輪最終予選で3位に入り、日本ペア史上初となる五輪個人戦の2枠目を獲得しました。

2025年12月の全日本選手権では、りくりゅうの棄権を受けて2大会ぶりの優勝を飾っています。

さらに籠谷歩未・本田ルーカス剛史組など新たなペアも全日本に出場しており、競技人口が拡大しつつある兆しが見えています。

りくりゅうが切り拓いた道を、複数のペアが続いているという構図は、日本フィギュアスケート界にとって大きな財産です。

ペア大国を目指す日本フィギュア界の今後の展望

ミラノ五輪で金メダルを獲得したことにより、日本のペア競技は新たなステージに入りました。

日本は女子の荒川静香選手、男子の羽生結弦選手に続き、ペアでも五輪金メダルを手にしたことで、3つのカテゴリーで五輪の頂点を経験したことになります。

木原選手は金メダル後の会見で「日本のスケートがペア大国になるために」と展望を語り、今回の金メダルを一過性のものに終わらせない決意を示しました。

木下グループが2009年からアイスダンスやペアへのサポートを継続してきたことも、今回の快挙を下支えした重要な要因として注目されています。

りくりゅうの快挙を支えた国産ブレードと技術力の秘密

名古屋の特殊鋼メーカーが削り出す「折れない」ブレードとは

りくりゅうの足元を支えているのは、名古屋市に本社を置く特殊鋼メーカー・山一ハガネが製造する「YSブレード」です。

一般的な欧米メーカーのブレードがパーツを溶接して作られるのに対し、YSブレードは約10kgの特殊鋼の塊から約280gのブレードを削り出す一体成型製法を採用しています。

溶接部分がないため「折れにくい」という大きな利点があり、耐久性と安定性に優れているのが特徴です。

創業99年(2026年時点)を誇る老舗企業の技術が、五輪金メダルの足元を支えていたことは、日本のものづくりの底力を象徴するエピソードとして広く報じられました。

木原龍一が開発に協力した選手目線のフィードバック

YSブレードの開発には、木原龍一選手自身が協力しています。

トップ選手ならではの繊細な感覚に基づくフィードバックが、ブレードの改良に活かされてきました。

開発者は木原選手からの協力を「渡りに船」と振り返っており、選手とメーカーの二人三脚で製品が進化してきた経緯があります。

現在ではりくりゅうだけでなく、鍵山優真選手や三浦佳生選手など他の日本代表選手も同じブレードを使用しているのが、品質の高さを裏付けているといえるでしょう。

日本刀の発想を応用した熱処理技術と欧米製との違い

YSブレードのもう一つの特徴は、日本刀にヒントを得た独自の熱処理技術です。

刃の部分に施される特殊な焼き入れ処理によって、硬さとしなやかさを両立させています。

欧米メーカーの溶接式ブレードは、使用中に溶接部分から破損するリスクがあるのに対し、一体成型のYSブレードにはそうした弱点がありません。

また、削り出し製法により品質のばらつきが少なく、同じモデルを買い替えた際にも前のブレードと同じ感触を再現できる点が、選手から高く評価されています。

元フィギュアスケート五輪代表の小塚崇彦氏もブレード開発に携わっており、選手経験者のノウハウが製品に凝縮されているのがYSブレードの強みです。

りくりゅうの今後の予定と引退・競技続行の可能性

2026年世界選手権への出場はあるのか

ミラノ五輪後の次の大きな大会として、2026年3月24日〜29日に開催予定の世界フィギュアスケート選手権が控えています。

ペアSPは3月26日に予定されており、五輪金メダリストとしてりくりゅうが出場する可能性は十分にあるでしょう。

ただし、五輪というシーズン最大の目標を達成した直後であり、心身のコンディション次第では出場を見送る判断もあり得ます。

金メダル翌日の時点では、世界選手権への出場について明確な言及は報じられていません。

木原龍一33歳という年齢とペア競技の選手寿命

木原龍一選手は2026年2月時点で33歳です。

ペア競技の男子選手としてはベテランの域に入る年齢であり、体力面での負担は年々大きくなっていくことが予想されます。

腰椎分離症を経験していることも、今後のキャリア判断に影響を与える要素の一つでしょう。

一方で、三浦璃来選手はまだ24歳と若く、パートナーとしてのキャリアを長く続けられる可能性を持っています。

二人の今後の決断は、日本のペア競技の行方そのものにも大きく影響することになるはずです。

中国前回王者の引退で変わる世界ペア勢力図の行方

ミラノ五輪のペア競技では、前回2022年北京五輪の金メダリストである中国の隋文静・韓聡組が引退を表明しました。

国際スケート連盟は「2人はこれが現役最後のパフォーマンスであり、今後氷上での活動を継続しない」と伝えています。

ロシアのペアは国際大会への出場が制限されている状況が続いており、りくりゅうが名実ともに世界ペアの頂点に立つ構図が鮮明になりました。

仮にりくりゅうが競技を続行すれば、次世代の有力ペアが台頭するまでの間、世界ランキングのトップに君臨し続ける可能性は高いでしょう。

逆に引退という選択をした場合、ドイツのハーゼ/ボロディン組やジョージアのメテリキナ/ベルラワ組が次の覇権争いの中心になると見られています。

まとめ:りくりゅうと全日本の歩みを振り返る完全ガイド

全日本から世界へ羽ばたいた7年間のハイライト

りくりゅうの7年間は、全日本選手権を出発点として世界の頂点へ駆け上がった壮大な物語でした。

ペア結成初年度の全日本優勝から始まり、さいたまでの世界選手権制覇、大阪での全日本連覇、そしてミラノでの五輪金メダルに至るまで、一つ一つの大会が成長の証として刻まれています。

怪我と逆境を乗り越え続けた二人が残した功績

木原選手の腰椎分離症による欠場、三浦選手の脱臼による棄権と、二人は幾度も怪我という壁に直面してきました。

それでも決して諦めず、逆境を乗り越えるたびに一回り強くなって戻ってきた姿が、多くの人の心を動かしたのです。

  • りくりゅうとは三浦璃来・木原龍一によるフィギュアスケートのペアで、9歳差の二人が2019年に結成
  • 全日本選手権ペア部門では出場した全大会で優勝しており、木原選手の通算優勝回数は6回に達する
  • 2023-24シーズンは木原選手の腰椎分離症により全日本を含む複数大会を欠場した
  • 2025年12月の全日本ではSP直前に三浦選手が左肩を脱臼しながらも84.91点を記録したがフリーは棄権となった
  • 2026年ミラノ五輪ではSP5位から逆転し、フリー世界歴代最高158.13点で金メダルを獲得した
  • 合計231.24点は自己ベストかつ世界歴代5位で、6.90点差からの逆転は現行採点方式で史上最大である
  • 団体戦でもSP・フリーの両方でペア種目1位となり日本の銀メダルに大きく貢献した
  • 海外の評価は銀銅メダルペアやロシアの重鎮タラソワ氏が絶賛する一方、一部ロシアメディアからは採点への批判もある
  • 国産ブレード「YSブレード」を愛用しており、名古屋の山一ハガネが削り出し製法で製造している
  • かつて観客がまばらだった全日本のペア部門は、りくりゅうの活躍により「ゆなすみ」など後進の台頭を促し、日本ペア初の五輪2枠獲得にもつながった
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