フィギュアスケート・ペアの三浦璃来選手と木原龍一選手、通称「りくりゅう」。
2026年ミラノ・コルティナ五輪では、ショートプログラム5位からの大逆転でフリー世界歴代最高得点を叩き出し、日本ペア史上初の金メダルを獲得しました。
この歴史的快挙の裏には、引退寸前のアルバイト生活、繰り返す怪我との闘い、コロナ禍での苦闘、そして7年間かけて築き上げた唯一無二の信頼関係がありました。
競技中の華やかな姿だけでなく、天然な一面や忘れ物の多さといった素顔のエピソードも、多くのファンの心をつかんでいます。
この記事では、りくりゅうの結成秘話から金メダルの舞台裏、知られざる日常のエピソードまで、2人の物語を時系列で徹底的にお届けします。
りくりゅうとは?ペア結成までの運命的なエピソード
りくりゅうとは、フィギュアスケート・ペアの三浦璃来選手(2001年12月17日生まれ、兵庫県宝塚市出身)と木原龍一選手(1992年8月22日生まれ、愛知県東海市出身)のペアの愛称です。
2019年8月にペアを結成し、9歳という年齢差がありながらも息の合った演技で世界を魅了してきました。
互いに「龍一くん」「璃来ちゃん」と呼び合い、敬語を使わないフラットな関係性が、氷上の一体感にも反映されています。
ペア結成の背景には、それぞれが困難を抱えていた時期の「運命的な出会い」がありました。
木原龍一が引退寸前だった苦悩の日々とアルバイト生活
りくりゅう結成前、木原龍一選手は引退の瀬戸際に追い込まれていました。
4歳からスケートを始め、シングル選手として全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権で新人賞を獲得するなど実績はあったものの、シニアの全日本選手権では3年連続12位と低迷しています。
シングル時代は「非力くん」というあだ名で呼ばれていたほど、線の細い選手でした。
2013年にペアへ転向し、高橋成美選手とのペアでソチ五輪(2014年)に出場しましたが、大きな結果は残せませんでした。
その後、須崎海羽選手とペアを組みますが、2019年1月に練習中に負傷して世界選手権を欠場。
同年春にはペアを解消してしまいます。
米国から帰国した木原選手は、ジュニア時代に拠点としていた名古屋市の「邦和スポーツランド」でアルバイトを始めました。
業務内容は貸し靴の受け渡し、リンクの監視、宿泊施設の宿直など多岐にわたり、週3回勤務していた時期もあったと報じられています。
当時の同僚によると、「同級生は社会に出てバリバリ仕事してるのに、俺はスケートしかしてない」とこぼしていたそうです。
一方で「小学生にも敬語を使う」「誰にも低姿勢」という人柄は、この時期から変わらなかったといいます。
三浦璃来からの声がけが生んだ奇跡のトライアウト
転機となったのは、2019年夏の出来事でした。
三浦璃来選手もまた、前パートナーとのペアを解消した直後で、新たな相手を探していた時期にあたります。
アイスダンスの小松原美里選手の紹介を通じて、三浦選手が邦和スポーツランドを訪問したことが、すべての始まりでした。
トライアウトでは、木原選手が三浦選手を頭上に投げるツイストリフトを試しています。
このとき、信じられないほどの高さが出たことに双方が驚き、木原選手は後にこの瞬間を「雷が落ちた」と表現しました。
コーチ陣も「魔法のようだった」と振り返るほど、2人の相性は最初から際立っていたのです。
三浦選手は5歳でスケートを始め、ディズニーのアニメがきっかけだったと語っています。
小学4年から2年間は空手教室「龍舞会」に通い、回し蹴りが得意だったという意外な一面も持ち合わせています。
空手で培った闘争心と体幹の強さは、ペア競技のダイナミックな動きに活かされることになりました。
「僕を好きにならなくていいよ」結成時に9歳上の木原が伝えた言葉
ペア結成時、木原選手が当時17歳だった三浦選手にかけた言葉が、多くのファンの間で語り継がれています。
「僕のことを好きにならなくていいよ」。
ペア競技では恋人のような表情を作ることを求められる場面が少なくありません。
抱き合ったり見つめ合ったりする振り付けも多く、実際に夫婦でペアを組むケースも世界では珍しくないのが現実です。
9歳年上の木原選手は、思い詰めがちな年頃の三浦選手が「本当に好きにならなければ」と感じてしまうことを心配し、この言葉で心の負担を取り除いたとされています。
三浦選手の祖母の周辺からは「そんなことしなくていいよ、と気遣ってくれたのね」という声が伝えられており、結成当初から木原選手のパートナーへの配慮が際立っていたことがうかがえます。
この言葉があったからこそ、りくりゅうは恋愛感情に左右されない、純粋な信頼関係を築くことができたのかもしれません。
りくりゅうの天然エピソードが愛される理由
りくりゅうが多くのファンから愛される理由は、競技力の高さだけではありません。
2人の飾らない素顔、特にお互いの天然な一面がにじみ出るやりとりが、親しみやすさと魅力の大きな源泉となっています。
インタビューや記者会見では予想外の発言が飛び出すことも多く、そのたびにSNSでは「かわいい」「微笑ましい」といった反応が広がるのが恒例です。
三浦璃来の天然キャラ炸裂エピソード集
三浦選手は、リンク上では勝負強い表情を見せる一方で、普段は天真爛漫な性格として知られています。
一般的に「天然キャラ」と呼ばれるような予想外の言動が多く、ファンの間では「りくちゃんの天然発言集」が話題になることも珍しくありません。
ミラノ五輪の一夜明け会見では、隣で眠ってしまった木原選手をそっと起こす姿がカメラに捉えられました。
木原選手が「りくちゃんに起こされた」とチクリと言うと、三浦選手は「寝てて下さい」と笑顔で返す場面があり、この自然体のやりとりがSNSで大きな反響を呼んでいます。
また、金メダル獲得直後のインタビューでは、号泣する木原選手に「おーい!」「ずっとしゃべりかけてたのに、ひどい」と激しめのツッコミを入れて周囲を笑わせる一幕もありました。
緊張と感動が入り混じる場面でも自然体を貫ける三浦選手の存在が、ペアの空気を明るくしていることは間違いないでしょう。
木原龍一の天然ボケに三浦がツッコむ微笑ましい日常
天然な一面があるのは三浦選手だけではありません。
木原選手も独特なボケを見せることがあり、三浦選手がすかさずツッコむという「夫婦漫才」のような掛け合いが定番化しています。
過去のインタビューでは、木原選手が「ふん」とそっけない返事をして、三浦選手が「なんなん、その態度」と返す場面が報じられたこともあります。
一見するとケンカのように見えるやりとりも、2人の間では日常的なコミュニケーションの一部です。
一般的に、ペア競技では2人の信頼関係が演技の質に直結すると言われています。
りくりゅうの場合、こうした何気ない日常のやりとりが、氷上での呼吸の合った演技を支える土台になっているのでしょう。
9歳の年齢差を感じさせないフラットな関係性は、多くのメディアでも繰り返し取り上げられています。
試合前にマリオカートで対戦するりくりゅう流ルーティン
りくりゅうの試合前のルーティンも、ファンの間では有名なエピソードの一つです。
大会前の緊張をほぐすために、2人はマリオカートや桃太郎電鉄といったゲームで対戦するのが定番となっています。
一般的な選手がストレッチや瞑想で集中力を高めるイメージとは対照的ですが、これが「りくりゅう流」の調整法です。
ゲームを通じて自然にコミュニケーションを取り、緊張を和らげることで、演技直前までリラックスした状態を保てるといいます。
試合前であっても2人でいる時間を楽しむ姿勢が、本番での一体感のある演技につながっている、と多くの関係者が指摘しています。
こうした独自のルーティンも含めて、りくりゅうの人間味あふれるスタイルが幅広い世代から支持される理由の一つと言えるでしょう。
りくりゅうの忘れ物・迷子の伝説エピソードまとめ
りくりゅうのエピソードとして、競技以外の場面でのうっかりした言動も広く知られています。
海外遠征が多いアスリート生活の中で、忘れ物をしたり迷子になったりといった「おっちょこちょい」なエピソードが数多く語られてきました。
こうしたエピソードは2人の親しみやすさを象徴するものとして、ファンの間で「伝説」のように語り継がれています。
三浦璃来の忘れ物癖にまつわるエピソード
三浦選手は、日頃から忘れ物が多いことでも知られています。
遠征先のホテルに荷物を置き忘れるといったエピソードがたびたび報じられており、木原選手がフォローに回ることも少なくないようです。
天然な性格とあいまって、こうした「おっちょこちょい」なエピソードがファンの間では微笑ましく受け止められています。
一方で、リンクの上ではミスなく正確な演技を見せることから、「オンとオフの切り替えがすごい」という声も一般的に多く聞かれます。
競技に集中するあまり、日常の細かいことに注意が向きにくくなるのは、トップアスリートにはよくある話とも言えるかもしれません。
木原龍一が迷子になった海外遠征での珍事件
海外遠征が多いりくりゅうにとって、慣れない土地での移動はつきものです。
木原選手も方向感覚に自信がないのか、遠征先で迷子になりかけたエピソードが伝えられています。
カナダに練習拠点を置く2人は、大会への移動で長距離の車移動を強いられることもあります。
実際に、航空機の大幅遅延が発生した際には、木原選手が自ら運転してカナダから約6時間かけて試合会場まで移動したこともありました。
こうした場面でもパートナーと協力して乗り越える姿勢は、りくりゅうらしいエピソードとして知られています。
財布やパスポートにまつわるヒヤリとした遠征秘話
海外を転戦する選手にとって、財布やパスポートの管理は生命線とも言える重要事項です。
りくりゅうに限らず、フィギュアスケート界では遠征中にパスポートを紛失しかけたり、財布を宿泊先に忘れたりというヒヤリとしたエピソードは珍しくありません。
りくりゅうの場合は、2人のうちどちらかが気づいてフォローするという「補い合い」が自然にできているところが特徴的です。
貴重品の管理にまつわるエピソードも含めて、お互いをカバーし合う関係性が日常レベルで構築されていることを示す好例と言えるでしょう。
こうした何気ない日常の支え合いが、4分間の演技における命がけのリフトやスローに対する絶対的な信頼の土台になっていると、多くのスケート関係者は指摘しています。
りくりゅうの絆を深めた苦難と怪我の歴史
りくりゅうの7年間は、決して順風満帆ではありませんでした。
繰り返す怪我、パンデミック、異国での生活など、幾多の困難を2人で乗り越えてきたからこそ、ミラノ五輪の大逆転劇が生まれたと言えます。
ここでは、ペアの絆を深めた苦難の歴史を時系列で振り返ります。
三浦璃来の左肩脱臼は何度起きた?怪我の全経緯
三浦選手を最も悩ませてきたのが、左肩の脱臼です。
以下が確認されている主な脱臼の経緯です。
| 時期 | 状況 | 影響 |
|---|---|---|
| 2022年7月 | アイスショー中に左肩を脱臼 | 初めての脱臼 |
| 2024年3月 | 世界選手権フリーの公式練習で再脱臼 | 混乱の中で演技しミスが重なるも銀メダル |
| 2024年12月 | GPファイナルで左肩を脱臼 | 演技が崩れる |
| 2025年12月 | 全日本選手権SP直前の6分間練習で脱臼 | 応急処置後にSP世界歴代最高84.91点で首位発進、しかしフリーは棄権 |
少なくとも4度の脱臼が確認されており、「癖になっている」状態と広く認識されています。
それでも三浦選手は「けがにフォーカスしすぎず切り替えて挑めた。
去年からの大きな成長」と語り、精神的な強さの進化を見せています。
ミラノ五輪では脱臼なく全演技をやり遂げており、チームの万全の準備が実を結んだ形です。
木原龍一を襲った腰椎分離症と完全復活への道のり
木原選手もまた、深刻な怪我に悩まされた時期があります。
2023-2024シーズン、木原選手は腰椎分離症と診断され、グランプリシリーズの欠場を余儀なくされました。
復帰したのは約4カ月後の2024年2月、四大陸選手権でのことです。
この大会では準優勝に終わりましたが、続く世界選手権では三浦選手の肩の脱臼というアクシデントがありながらも銀メダルを獲得しています。
2024-2025シーズンには完全復活を果たし、世界選手権で2度目の優勝を達成しました。
そして2025-2026シーズンにはGPファイナル優勝、全日本選手権SP首位と結果を残し、ミラノ五輪へ万全の状態で乗り込んでいます。
バイト生活、肩の負傷によるペア解消、腰椎分離症と、幾度もの試練を乗り越えてきた木原選手の粘り強さは、33歳にして日本冬季五輪最年長金メダリストとなった事実にも表れています。
コロナ禍のカナダで2人が選んだ覚悟の決断
2019年8月にペアを結成したりくりゅうは、直後にカナダ・トロント近郊のオークビルへ練習拠点を移しました。
しかし、渡航からまもなく世界はコロナ禍に見舞われます。
世界選手権は中止となり、カナダでは厳しい行動制限が敷かれ、リンクが使えない時期も続きました。
帰国するか、カナダに残るか。
2人はカナダにとどまって練習を続けるという決断を下しています。
この時期に、試合がない環境の中でペアの基礎技術を徹底的に磨き上げたことが、後の急成長につながったと多くの専門家が分析しています。
カナダでの生活を支えたのが、トロント近郊に長年住む日本人女性の存在でした。
自宅に2人を招いて手料理を振る舞うなど、慣れない海外生活のサポートに努めたことが報じられています。
異国の地で互いしか頼れない環境が、りくりゅうの結束をさらに強固なものにした側面は見逃せないでしょう。
ミラノ五輪での大逆転劇を生んだ感動エピソード
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪で、りくりゅうは歴史に残る大逆転劇を演じました。
ショートプログラムでまさかの5位に沈みながら、翌日のフリーでは世界歴代最高得点を叩き出して金メダルを獲得しています。
SP後の絶望と、フリーでの復活。
その舞台裏には、パートナーとコーチの言葉に支えられた感動のドラマがありました。
SP5位からの絶望を救った三浦の一言とコーチの魔法の言葉
ミラノ五輪のショートプログラムで、りくりゅうは得意のリフトでミスが出て73.11点、5位に沈みました。
首位との差は6.90点。
演技後、木原選手は約10秒間動けなかったと報じられています。
帰りのバスの中で2人は反省会を行い、「明日絶対ベストを出して、絶対勝とう」と話し合いました。
しかし、木原選手は布団に入ると再び悲しみに飲まれてしまいます。
フリー当日の朝食時にはポロポロと涙を流し、公式練習まで立ち直りきれない状態が続いていました。
このとき三浦選手がかけた言葉が「まだ試合は終わってない」でした。
さらにブルーノ・マルコットコーチも「昨晩を理解するな」「野球の試合のように、9回3アウトまで終わらない」と繰り返し伝えたと報じられています。
普段は木原選手に支えられる側だった三浦選手が、この場面で逆にパートナーを引っ張った事実に、7年間の信頼関係の深さが凝縮されていたと言えるでしょう。
フリー当日朝に号泣した木原が立ち直った30分間の仮眠
SP後の夜はほとんど眠れなかったという木原選手。
フリー当日の公式練習後に、約30分間の仮眠を取ったことが転機になりました。
昼寝から目覚めた木原選手は、トイレで顔を洗い、「負の感じは全部流した」と気持ちを切り替えたといいます。
この瞬間から木原選手は完全に「再起動」し、本番に向けた集中モードに入りました。
本人は後のインタビューで「史上最も集中していたフリーだった」と振り返っています。
三浦選手もまた「一瞬一瞬をすごく楽しめていた」と語り、2人が異なるアプローチで最高の精神状態に達していたことがわかります。
りくりゅう結成7年間で、木原選手がここまで崩れたのは初めてのことだったと報じられています。
だからこそ、ここからの復活は「7年間の積み重ねの集大成」と呼ぶにふさわしいものでした。
フリー世界歴代最高158.13点はどのように生まれたのか
フリーでりくりゅうは158.13点をマークし、ペアのフリースケーティング世界歴代最高得点を更新しました。
合計231.24点は自己ベストであり、この種目で日本勢初のメダルであると同時に、金メダルという最高の結果です。
使用曲は映画『グラディエーター』シリーズの楽曲メドレーでした。
前半は『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』から「Strength And Honor」、後半は初代『グラディエーター』から「Nelle Tue Mani(Now We Are Free)」が使われています。
技術面では、SPでミスがあったアクセルラッソーリフトが最高評価のレベル4を獲得し、出来栄え点でも2.70点の高い加点を受けました。
フリー全体での減点は0。
ジャンプ、スピン、リフト、スローのすべてのエレメントでミスのない、文字通りの完璧な演技でした。
ISU(国際スケート連盟)公式も「ショータイム」と称賛し、海外の解説者からは「歴史に残る五輪の瞬間」「平昌五輪でのサフチェンコ・マッソの大逆転を連想させる」と高く評価されています。
観客席で号泣した坂本花織と日本チームの絆
りくりゅうの歴史的な演技を、観客席から見守っていた日本チームの姿も大きな感動を呼びました。
翌日に女子シングルのショートプログラムを控えていた坂本花織選手は、「りく」「りゅういち」と書かれたうちわを持って応援していました。
りくりゅうの演技が終わった瞬間、そして金メダルが確定した瞬間、坂本選手は大粒の涙を流しています。
後に坂本選手は「どえらい泣いた」とコメントし、仲間の快挙を心から祝福しました。
鍵山優真選手もSNSに「りくりゅう神」と投稿しています。
一方、りくりゅうは公式練習で恐怖心から涙を流していた坂本選手に対し、「僕たちが厄を引き受けた」「問題ない」とエールを送ったことも報じられています。
ペアの金メダルが個人戦を控えた日本チーム全体に勇気を与え、「チームジャパン」としての結束を象徴するエピソードとなりました。
元パートナーが解説席で涙した理由とペア競技の歴史
ミラノ五輪のりくりゅう金メダルを語るうえで、欠かせない人物がいます。
木原選手の最初のペアパートナーであり、NHK Eテレで解説を担当した高橋成美さんです。
解説席での号泣は日本中の涙を誘い、「りくりゅうの物語」に奥行きを加えました。
この金メダルは、日本のペア競技が長年にわたって積み重ねてきた歴史の上にあります。
木原龍一の最初のペアパートナーとソチ五輪での挑戦
高橋成美さんは、木原選手がペアに転向して最初に組んだパートナーです。
高橋さんは以前、カナダ出身のマーヴィン・トラン選手とのペアで2012年の世界選手権銅メダルを獲得した実力者でした。
しかし、左反復性肩関節脱臼を起こし、引退を覚悟するところまで追い込まれた経験があります。
ジュニア時代からのスケート仲間だった木原選手に誘われ、リハビリしながら2人でソチ五輪出場を目指しました。
高橋・木原ペアは2013年に結成され、2014年のソチ五輪や世界選手権に出場しましたが、大きな戦績は残せないまま2015年に解消しています。
それでも、2人の挑戦は日本のペア競技にとって重要な礎となりました。
「宇宙一の演技」解説中に号泣した元パートナーの想い
ミラノ五輪のペアフリー中継で解説を務めた高橋さんは、りくりゅうの演技中に「すごい!すごい!すごい!」「こんな演技、宇宙一ですよ!」と絶叫しました。
金メダルが確定すると感極まって号泣し、「こんな最高に合う日本語なんて思いつかない」と言葉を詰まらせています。
この解説はSNSで「神解説」と大きな反響を呼び、多くの視聴者がもらい泣きしたと報じられています。
高橋さんはかつて「私が味わいたかったのに、って未練たっぷりでした」と複雑な思いを語ったこともありました。
自分が到達できなかった頂点に、元パートナーが別の選手と辿り着く姿を見届ける立場は、想像を超える感情があったことでしょう。
金メダル後、木原選手は高橋さんに「なるちゃんがいたから、俺たちが……ありがとう」と感謝を伝えています。
11年前にペアを解消した2人が、五輪の金メダルという場面で再びつながった瞬間は、多くの人の胸を打ちました。
日本ペア競技の歴史を変えたりくりゅうの功績とは
りくりゅう以前、日本のペア競技で五輪メダルを獲得した選手は一人もいませんでした。
前回の北京五輪(2022年)で7位に入ったこと自体が日本ペア過去最高であり、五輪の表彰台は遠い夢とされてきた歴史があります。
りくりゅうはその壁を一気に突破し、メダルどころか金メダルという最高の結果で歴史を塗り替えました。
さらに、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権、五輪のすべてを制する「ゴールデンスラム」を達成しています。
日本勢としては羽生結弦さん以来2例目であり、ペア競技では日本初の快挙です。
高橋成美さんや、その前の世代の選手たちが切り拓いてきた道の上に、りくりゅうの金メダルがあります。
この功績は、単なる1ペアの成功ではなく、日本ペア競技の歴史そのものを変える出来事として位置づけられています。
りくりゅうの関係性は?交際や結婚についての真相
りくりゅうに関して最も多く検索される疑問の一つが、2人の関係性についてです。
「付き合っているのか」「結婚しているのか」という質問は、金メダル獲得後にさらに加速して国内外で話題になっています。
ここでは、現時点で確認できる事実をもとに整理します。
海外メディアも注目する2人のケミストリーとは
ミラノ五輪後、米メディアは「2人のケミストリー(化学反応)が臆測を呼んでいる」と報じました。
「氷上とオフの両面での感情表現が注目を集めている」とし、「三浦と木原は交際中なのか、それとも既婚なのかという疑問がわいてくる」という論調の記事も見られます。
ペア競技の特性上、演技中は恋人のような表情を見せる場面も多く、それが海外メディアの関心をさらに高める要因になっていると考えられます。
りくりゅうの場合、競技中だけでなく、インタビューや普段のやりとりでも距離が近く、自然体で接する姿がカメラに捉えられることが多いため、余計に臆測が広がりやすい状況にあります。
交際や結婚を公式に発表した事実はあるのか
2026年2月時点で、りくりゅうが交際や結婚を公式に発表した事実はありません。
本人たちからの言及もなく、所属する木下グループからの発表もない状況です。
金メダル獲得後にこの話題が再燃しましたが、確認できる範囲ではあくまで臆測の域を出ていません。
SNS上では「絶対付き合ってる」「恋人じゃないなんてあり得ない」といった声がある一方で、「何でも恋愛に結びつけるのはやめてほしい」「2人の関係性を恋愛だけで語らないで」という反論も目立っています。
交際の有無にかかわらず、2人がお互いにとって最高のパートナーであることは競技成績が証明しています。
恋人ではなく兄妹のような信頼関係と評される理由
りくりゅうの関係性について、一般的に最も多く聞かれる表現が「恋人同士というより、兄妹のような関係」です。
9歳の年齢差がありながらも敬語を使わず、対等にツッコミ合う姿は、まさに仲の良い兄と妹を思わせます。
結成当初に木原選手が「僕を好きにならなくていいよ」と伝えたエピソードからも、恋愛感情を持ち込まない関係を意識的に築こうとしていたことがうかがえます。
ペア競技では、恋愛関係にあるペアが環境の変化で関係が崩れ、競技にも影響が出るケースが世界では珍しくありません。
りくりゅうの場合、恋愛に左右されない絶対的な信頼関係が、逆にペアとしての安定性と長期的な成功につながっている可能性があります。
どのような関係であれ、7年間にわたって互いを信頼し、支え合い、世界の頂点に立ったという事実が、りくりゅうの関係性のすべてを物語っているのではないでしょうか。
りくりゅうの戦績一覧とゴールデンスラム達成の偉業
りくりゅうの7年間は、シーズンを重ねるごとに着実にステップアップしてきた道のりでした。
ここでは主要大会の戦績を一覧で整理し、ゴールデンスラム達成の意味を解説します。
ペア結成から五輪金メダルまでの主要大会成績まとめ
| シーズン | 主要大会 | 結果 |
|---|---|---|
| 2019-2020 | 全日本選手権 | 優勝 |
| 2021-2022 | 北京五輪(団体) | 銀メダル |
| 2021-2022 | 北京五輪(個人) | 7位(日本ペア過去最高) |
| 2021-2022 | 世界選手権 | 銀メダル |
| 2022-2023 | GPファイナル | 優勝 |
| 2022-2023 | 四大陸選手権 | 優勝 |
| 2022-2023 | 世界選手権 | 優勝(年間グランドスラム達成) |
| 2023-2024 | 四大陸選手権 | 2位 |
| 2023-2024 | 世界選手権 | 銀メダル |
| 2024-2025 | GPファイナル | 2位 |
| 2024-2025 | 世界選手権 | 優勝(2度目) |
| 2025-2026 | GPファイナル | 優勝 |
| 2025-2026 | 全日本選手権 | SP首位(フリー棄権) |
| 2025-2026 | ミラノ五輪(団体) | 銀メダル |
| 2025-2026 | ミラノ五輪(個人) | 金メダル(FS世界歴代最高158.13点) |
結成からわずか3年で北京五輪に出場し、4年目には年間グランドスラムを達成。
怪我による苦しいシーズンを経て、7年目にして五輪金メダルにたどり着いた軌跡は、まさに右肩上がりの成長曲線を描いています。
羽生結弦以来のゴールデンスラム達成の意味とは
ゴールデンスラムとは、ISU(国際スケート連盟)が主催する主要4大会、すなわちオリンピック、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権(または欧州選手権)のすべてをキャリアを通じて制覇することを指します。
りくりゅうは、ミラノ五輪の金メダルでこの偉業を達成しました。
日本勢としては、フィギュアスケート男子シングルの羽生結弦さん以来2例目です。
ペア競技での達成は日本史上初であり、世界的にも限られた選手のみが成し遂げている快挙といえます。
また、2022-2023シーズンにはGPファイナル、四大陸選手権、世界選手権をすべて同一シーズンで制覇する「年間グランドスラム」も達成しており、こちらも日本ペア初の記録でした。
年間グランドスラムを含む日本ペア初の記録一覧
りくりゅうが樹立した「日本ペア初」の記録を整理すると、以下のようになります。
| 記録 | 達成時期 |
|---|---|
| GPファイナル優勝(日本ペア初) | 2022-2023シーズン |
| 四大陸選手権優勝(日本ペア初) | 2022-2023シーズン |
| 世界選手権優勝(日本ペア初) | 2022-2023シーズン |
| 年間グランドスラム達成(日本ペア初) | 2022-2023シーズン |
| 五輪メダル獲得(日本ペア初) | 2026年ミラノ五輪 |
| 五輪金メダル獲得(日本ペア初) | 2026年ミラノ五輪 |
| ゴールデンスラム達成(日本ペア初) | 2026年ミラノ五輪 |
| FS世界歴代最高得点(158.13点) | 2026年ミラノ五輪 |
いずれも日本フィギュアスケート史に刻まれる偉業であり、りくりゅうがいかに特別な存在であるかを数字が雄弁に物語っています。
りくりゅうが語る今後の目標と日本ペア競技の未来
金メダル獲得後、りくりゅうが最も力を込めて語ったのは、自分たちの将来ではなく「日本のペア競技の未来」についてでした。
歴史的快挙を成し遂げた今、2人が見据えるビジョンと、日本のペア競技が抱える構造的な課題を掘り下げます。
「日本をペア大国にしたい」金メダル後に明かした夢
ミラノ五輪の一夜明け会見で、木原選手は「日本がペア大国になるために、僕たちを見てペアを始めてくれる子がどんどん増えることが夢」と語りました。
三浦選手も「後輩も育ってきている。
次の世代にどんどん繋いでいきたい」とコメントしています。
「僕たちの世代でペアが終わってしまうのではなく、この金メダルをしっかりと活用していきたい」という木原選手の言葉には、自分たちの成功を一過性のものにしたくないという強い意志が感じられます。
来シーズン以降の具体的な目標については「まだ考えられない」としつつも、ペア競技の普及という長期的なビジョンは明確に持っていることが伝わってきます。
日本のペア競技人口が少ない構造的な課題とは
りくりゅうの成功は華々しいものですが、日本のペア競技には依然として深刻な構造的課題が存在します。
最大の問題は、国内に専門的な指導者がほとんどいないことです。
ペアの技術を本格的に学ぼうとすれば、海外に拠点を移すことが事実上の前提となります。
りくりゅうもカナダのオークビルに拠点を置き、カナダ人のブルーノ・マルコットコーチの指導を受けてきました。
渡航費や生活費を含めた経済的負担は大きく、若い選手や家族にとってハードルが非常に高いのが現実です。
また、シングル競技との人材の奪い合いも課題として挙げられます。
才能ある選手がシングルを選ぶ傾向が根強く、ペアの競技人口はシングルと比較して圧倒的に少ない状態が続いています。
練習環境、指導者、資金、競技人口のいずれの面でも、日本のペア競技はまだ発展途上にあると言わざるを得ません。
次世代に繋ぐために2人が発信し続けるメッセージ
りくりゅうは競技成績だけでなく、メディアへの積極的な露出やインタビューでの発信を通じて、ペア競技の魅力を伝え続けています。
木原選手は一夜明け会見で「なんとか次世代に繋いでいけるように、ペアをもっともっと知っていただけるようにしたい」と述べました。
三浦選手も「ここで終わらせたくは絶対ない」と明言しています。
りくりゅうの金メダルは、多くのメディアで「転換点」と位置づけられており、この成功がペア競技への関心を高め、将来的に競技人口の増加につながるかどうかが注目されています。
2人の物語は、競技の枠を超えて「諦めなければ夢は叶う」というメッセージとして多くの人の心に届いています。
この金メダルが、次世代のペアスケーターにとってのきっかけとなることを、りくりゅう自身が誰よりも願っているのでしょう。
まとめ:りくりゅうエピソードから見える金メダルの軌跡
- りくりゅうとは三浦璃来と木原龍一によるフィギュアスケート・ペアの愛称で、2019年8月に結成された
- 木原龍一は結成前にスケートリンクでアルバイトをしながら引退寸前の状態にあった
- ペア結成のきっかけは三浦璃来からの声がけで、トライアウトで驚異的な相性が判明した
- 「僕を好きにならなくていいよ」という結成時の言葉が、恋愛に依存しない信頼関係の土台となった
- 天然なやりとりや忘れ物のエピソードなど素顔の魅力がファンから幅広く支持されている
- 三浦の左肩脱臼(少なくとも4度)と木原の腰椎分離症を乗り越えて競技を続けてきた
- ミラノ五輪ではSP5位からフリー世界歴代最高158.13点を叩き出し、大逆転の金メダルを獲得した
- コーチの「昨晩を理解するな」や三浦の「まだ終わってない」が逆転劇の精神的な転機となった
- 五輪・世界選手権・GPファイナル・四大陸選手権の全制覇によるゴールデンスラムを達成した
- 「日本をペア大国にしたい」という次世代への発信が、金メダルの先に見据えるビジョンである

