フィギュアスケートのペア競技で日本初の五輪金メダルを獲得した「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一ペア。
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪でフリー世界歴代最高得点を叩き出し、SP5位からの大逆転劇は日本中を感動の渦に巻き込みました。
しかし、この奇跡のペアが誕生するまでには、引退寸前だった男と新たな相棒を探し続けた少女の運命的な出会いがありました。
本記事では、りくりゅうの結成にまつわる知られざる経緯から、2人の技術的な強み、乗り越えてきた困難、そして世界がどう評価しているのかまでを網羅的にお伝えします。
ペア競技の歴史を塗り替えたこの物語を知れば、氷上の演技がより一層深く心に響くはずです。
りくりゅう結成とは?ペア誕生の基本情報
「りくりゅう」とは、フィギュアスケートのペア競技で活躍する三浦璃来選手と木原龍一選手の愛称です。
三浦選手の名前「りく」と木原選手の名前「りゅういち」を組み合わせて生まれた呼び名で、2019年8月に正式にペアとして結成されました。
三浦選手は2001年12月17日生まれの兵庫県宝塚市出身で、身長は145センチメートルです。
一方の木原選手は1992年8月22日生まれの愛知県東海市出身で、身長は175センチメートル。
9歳という年齢差がありながら、氷上では息の合った演技を見せるこのペアは、結成からわずか4年で世界の頂点に立ちました。
所属は木下グループで、カナダ・オンタリオ州オークビルを練習拠点としています。
コーチにはブルーノ・マルコット、メーガン・デュハメル、ブライアン・シェイルズという世界トップクラスの指導陣がついています。
2026年2月時点で、オリンピック、世界選手権、グランプリファイナル、四大陸選手権のISU公認シニア主要国際大会をすべて制覇した「生涯ゴールデンスラム」を達成しています。
りくりゅう結成前の三浦璃来と木原龍一の経歴
三浦璃来のシングル時代とペア転向の歩み
三浦璃来選手は5歳でフィギュアスケートを始めました。
ディズニーのアニメでフィギュアスケートをする姿を見て「自分にもできる」と思ったことがきっかけだったと語っています。
当初はシングル選手として活動していましたが、2015年に同じ練習拠点にいた市橋翔哉選手とペアを結成し、「りくしょう」の愛称で知られるようになりました。
市橋選手とのペアでは全日本ジュニア選手権で優勝を重ね、2017年には世界ジュニア選手権にも出場して11位という成績を残しています。
しかし2019年に入ると2人の関係にはぎくしゃくした部分が見え始め、同年7月にペアを解消する決断を下しました。
まだ17歳だった三浦選手は、新たなパートナーを見つけなければ競技人生が途切れてしまうという岐路に立たされていたのです。
木原龍一のシングルからペア転向、そして引退の危機
木原龍一選手は4歳からフィギュアスケートを始め、もともとは男子シングルの選手でした。
全日本ジュニア選手権で2位に入賞するなど才能を見せていましたが、2011年にソチ五輪での団体戦実施が決定したことを受け、日本スケート連盟がペア競技の強化に乗り出します。
連盟のペア発掘担当者が木原選手の素質に目をつけ、2013年にペアへの転向が実現しました。
最初のパートナーは高橋成美選手で、2014年のソチ五輪に出場しています。
続いて須崎海羽選手と2015年から2019年まで活動し、2018年の平昌五輪にも出場を果たしました。
ただし、2度の五輪ではいずれもフリーに進むことができず、戦績は伸び悩みます。
2019年には須崎選手とのペアを解消し、練習中の脳振とうや右肩の負傷も重なって、木原選手は心身ともに限界を迎えていました。
古巣である名古屋市の邦和スポーツランドでアルバイトをしながら、競技生活からの引退を真剣に考えていた時期です。
りくりゅう結成のきっかけとなった運命のトライアウト
2019年夏、中京大で起きた奇跡の瞬間
りくりゅうの結成を語る上で欠かせないのが、2019年夏に中京大学アイスアリーナ「オーロラリンク」で起きた出来事です。
日本スケート連盟は毎年、ペアとアイスダンスの新しいコンビを発掘するためのトライアウト(トライアル)を実施しており、この年も同様に開催されていました。
木原選手はこのトライアルに選手としてではなく、ペア初心者をサポートする手伝いとして参加していました。
数日間にわたる無償の手伝いを終え、スケート靴を脱いでアリーナの出入口に向かっていた木原選手に対し、連盟の強化部長には冗談とも本気ともつかない一言を残したと伝えられています。
「独立リーグ(野球)を受けようかなと思います」。
それほどまでに、競技への未練と将来への迷いが入り混じった状況でした。
同じ会場では、三浦選手と市橋選手のペアの合宿も行われていましたが、2人の関係がうまくいかなくなっていた時期です。
連盟が招聘していたカナダ人コーチのブルーノ・マルコット氏を交えた話し合いが行われていたまさにそのそばで、木原選手が自動ドアに足をかけて外に出ようとした瞬間でした。
「リュウイチ、靴をはけ!」。
マルコット氏の叫び声がリンクに響きました。
三浦選手もスケート靴を履いてリンクに戻り、木原選手と初めてペアの技を試すことになったのです。
初めてのツイストリフトで「雷が落ちた」衝撃
マルコット氏の指示で、木原選手は三浦選手を空中に投げ上げるシングルのツイストリフトを試みました。
リンク脇で見守っていた連盟の発掘担当者は、三浦選手が到達した高さに驚き、「あの瞬間、これはいけると思った」と後に振り返っています。
木原選手自身も「あの感触は本当にびっくりして、これならひょっとしたらって思った」と述懐しており、引退を撤回する直接のきっかけとなりました。
三浦選手は結成後のインタビューで「ペアはどちらかが合わせるイメージでしたけど、滑ってみてお互いが合いました」と語っています。
一般的にペア競技では、技のタイミングを片方が相手に合わせて調整するものですが、2人は初めて組んだ瞬間から自然に同調できるという稀有な相性を持っていたのです。
コーチのマルコット氏はこの初回の滑りを見た時点で「この組で決定だ」と確信したとされています。
2019年8月5日、正式なペア結成発表へ
中京大での偶然の出会いの後、名古屋の邦和スポーツランドで改めて正式なトライアウトが実施されました。
三浦選手からのオファーを受けた木原選手は引退を正式に撤回し、2019年の8月5日、木原選手の所属先である木下グループから新ペアの結成が発表されています。
ペアを組む前の2人は「試合で数回会う程度」で直接会話したこともほとんどなかったと言われています。
結成当時、三浦選手はまだ高校生で、木原選手は26歳でした。
三浦選手は木原選手の第一印象を「ザ・大人。
真面目なアスリート」と表現しています。
9歳の年齢差があるなかで、木原選手は三浦選手に対して「僕を好きにならなくていい」と声をかけたと伝えられており、年下のパートナーにプレッシャーを与えないよう配慮していた様子がうかがえます。
ペア結成からわずか3か月後の2019年11月、2人は初のグランプリシリーズとなるNHK杯に出場し、いきなり5位に入る健闘を見せました。
りくりゅう結成後の躍進と主要大会の戦績
りくりゅうの成長スピードは、フィギュアスケート界でも異例と言えるものでした。
結成1年目の2019-2020シーズンには全日本選手権で優勝を果たし、国内トップの座を早くも手にしています。
以下に、結成から現在に至るまでの主要大会の戦績をまとめます。
| シーズン | 主要大会 | 成績 |
|---|---|---|
| 2019-20 | 全日本選手権 | 優勝 |
| 2021-22 | 北京五輪(団体) | 銀メダル |
| 2021-22 | 北京五輪(ペア個人) | 7位(日本ペア初入賞) |
| 2021-22 | 世界選手権 | 銀メダル |
| 2022-23 | GPスケートカナダ | 優勝 |
| 2022-23 | GP NHK杯 | 優勝 |
| 2022-23 | GPファイナル | 優勝 |
| 2022-23 | 四大陸選手権 | 優勝 |
| 2022-23 | 世界選手権 | 優勝 |
| 2023-24 | 四大陸選手権 | 銀メダル |
| 2023-24 | 世界選手権 | 銀メダル |
| 2024-25 | GPファイナル | 優勝(3季ぶり) |
| 2024-25 | 四大陸選手権 | 優勝 |
| 2024-25 | 世界選手権 | 優勝(2度目) |
| 2025-26 | GPファイナル | 優勝 |
| 2025-26 | ミラノ・コルティナ五輪 | 金メダル |
特筆すべきは2022-2023シーズンで、GPファイナル、四大陸選手権、世界選手権を全制覇する「年間グランドスラム」を達成した点です。
この快挙はフィギュアスケートの全カテゴリを通じて日本選手として初めてのことでした。
さらに2026年のミラノ・コルティナ五輪で金メダルを獲得したことにより、オリンピックを含む主要4大会すべてを制した「生涯ゴールデンスラム」も達成しています。
りくりゅうの技術的な強みと世界トップの理由
圧倒的なスケーティングスピードとユニゾン
りくりゅうが世界のトップに君臨する最大の武器は、ペアでありながら減速しないスケーティングスピードです。
通常のペア競技では、2人が並走すると単独のときよりもスピードが落ちるのが一般的とされています。
しかしコーチのマルコット氏は「りくりゅうは二人三脚でより加速して滑ることができる」と説明しており、これは極めて稀なケースです。
加えて、2人の同調性(ユニゾン)の高さも世界から注目されています。
三浦選手は「スケーティングの一歩一歩のスピード感と幅がピッタリ合っていて、技に入るタイミングもすごく似ていた」と語っており、結成初日から感じた相性の良さがそのまま武器になっています。
氷に吸い付くようなエッジワークと、限りなく近い距離感で滑る技術は、演技構成点(PCS)の高評価にも直結しています。
世界一と称されるツイストリフトとリフト技術
りくりゅうの代名詞ともいえるのが、ツイストリフトの驚異的な高さです。
三浦選手の小柄な体格(145センチメートル)と木原選手の投げ上げ技術が生む滞空時間は、他のペアを明らかに凌駕しています。
結成のきっかけとなった初回のトライアウトで見せた高さが、7年後の五輪金メダルの原点であったとも言えるでしょう。
リフト全般に関しても世界最高レベルの評価を受けており、マルコット氏は「圧倒的なスピードで芸術的なリフトはGOE(出来栄え点)プラス6に値する」と述べています。
ミラノ五輪のフリーでは、リフトに対する加点が他の全ペアを上回り、技術点と芸術点の両面で高得点を獲得する原動力となりました。
基礎点ではなく「完成度」で圧倒するスタイル
興味深いのは、りくりゅうがライバルとの差を「技の難易度」ではなく「完成度」で生み出している点です。
ミラノ五輪フリーの全要素における基礎点の合計を比較すると、銀メダルのジョージアペアとの差はわずか0.1点でした。
つまり、技そのものの難易度はほぼ同等でありながら、すべてのエレメンツを高い質で揃えることで、GOEと演技構成点で大きな差を生み出しているのです。
この「完成度で圧倒する」というスタイルは、りくりゅうの最大の特徴であり、他のペアが簡単には真似できない強みとなっています。
りくりゅうが乗り越えてきた怪我と試練
木原龍一を襲った腰椎分離症
結成後の道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
2023年、木原選手は腰椎分離症と診断され、同年のグランプリシリーズを全て欠場する事態に陥ります。
NHK杯の欠場も余儀なくされ、2023年の全日本選手権ではフリーの棄権という苦渋の決断を下しました。
世界選手権を制した翌シーズンにまさかの離脱となり、ペアの存続そのものが危ぶまれた時期でもあります。
しかし木原選手は復帰後の2024年四大陸選手権で銀メダル、世界選手権でも銀メダルを獲得し、トップレベルを維持する底力を見せました。
三浦璃来の繰り返す肩関節脱臼
三浦選手は左肩関節の脱臼に繰り返し悩まされてきました。
2022年に脱臼して一時リンクを離れた際、木原選手は「2人で1つなんだな」と改めて実感したと語っています。
2024年のグランプリファイナル直前にも脱臼を経験し、さらに2025年12月の全日本選手権ではショートプログラムの演技直前に左肩を脱臼するという危機的な場面に直面しました。
それでも三浦選手は「棄権する選択肢はなかった」と強気で出場を決断し、そのまま首位に立つ演技を披露しています。
テーピングをすると「感覚が狂う」という経験から装着せず、痛み止めとアドレナリンで乗り切ったと本人が明かしています。
ミラノ五輪SPでの痛恨のリフトミスと24時間の逆転劇
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪では、ショートプログラムで金メダル候補にまさかの試練が訪れました。
7つのエレメンツのうち3つ目のリフトで、木原選手が三浦選手の手をうまくキャッチできず、三浦選手が木原選手の肩に乗るような形になってしまったのです。
落下こそ免れたものの、判定は4段階で上から3番目の「レベル2」となり、得点は3.90点にとどまりました。
直前の団体戦SPでは同じリフトで最高評価を得て82.84点を記録していたため、リフト単体で約6点のロスが発生したことになります。
コーチも「練習でも見たことのないミス」と驚くほど異例の失敗でした。
SP後の木原選手は号泣し、気持ちの切り替えに苦しんだと伝えられています。
9歳年下の三浦選手が「まだ終わっていない」と声をかけ、翌日のフリーに向けて精神的な支えとなりました。
フリー前には木原選手が30分の仮眠を取って気持ちをリセットし、本番ではSPで失敗したリフトで最高評価を獲得。
フリー世界歴代最高の158.13点を叩き出し、合計231.24点でSP1位との6.90点差をひっくり返す大逆転劇を演じたのです。
りくりゅうのミラノ五輪金メダルと世界の反応
フリー世界歴代最高158.13点の衝撃
2026年2月16日に行われたミラノ・コルティナ五輪ペアフリーで、りくりゅうは冒頭のトリプルツイストリフトを高く美しく決めると、勢いに乗った演技を展開しました。
映画「グラディエーター」の壮大な世界観を表現したプログラムは、すべてのエレメンツを高い精度でまとめ上げる圧巻の内容です。
フリーの得点158.13点は世界歴代最高を更新する数字であり、合計231.24点で2位のジョージアペアに9.49点の大差をつけました。
日本のフィギュアスケートにおいて、ペア競技で五輪メダルを獲得したのは史上初の快挙です。
海外メディアとライバル選手からの賛辞
ISUフィギュアスケート公式は「これはリク&リュウイチの瞬間」と発信し、世界中のファンに感動を伝えました。
イタリアのテレビ局や現地紙は「もはやSF」「魔法のペア」と表現し、開催国の観客からも大きな歓声が上がりました。
銀メダルを獲得したジョージアのベルラヴァ選手は「新しいページを刻んだ」と賛辞を送り、銅メダルのドイツ・ボロディン選手も「本当に強いペアなのは前から知っています」と敬意を表しています。
表彰式後に銀のジョージアペア、銅のドイツペアがりくりゅうを温かく祝福する光景は「リスペクトの輪」として国内外で話題になりました。
一方で、ロシアの元五輪王者から「採点が高すぎる」という批判的な声も出ています。
しかし表彰台に立ったライバル選手たちが「彼らは得点に値する」と擁護し、中国のファンからも「試合を見てほしい」という反論が多数寄せられるなど、演技の質に対する支持が圧倒的に上回りました。
りくりゅうを支えた国産ブレードと裏方の存在
名古屋の特殊鋼メーカーが生んだ革新的なブレード
りくりゅうの足元を支えているのが、名古屋市緑区の特殊鋼加工メーカー「山一ハガネ」が製造する国産スケートブレード(刃)です。
自動車部品の加工技術を応用し、特殊鋼を削り出す一体型のブレードという画期的な製法で生み出されました。
従来品と比べて強度は約3倍でありながら、価格は相場より5万円ほど高い水準に設定されています。
木原選手は開発段階から耐久テストに協力しており、完成品で滑った際に「伸びがすごい」と感動を覚えたと伝えられています。
2019年にペアを組んだ三浦選手もこのブレードを使い始め、「一層滑りが合った」と評価しました。
このブレードは鍵山優真選手など他の日本代表選手にも採用されており、日本のものづくりの技術力がフィギュアスケート界でも存在感を発揮しています。
木下グループの黎明期からの支援
りくりゅうの活躍を語る上で、スポンサーである木下グループの存在も忘れてはなりません。
同社はペア結成時の2019年から支援を開始し、シングルに比べて注目度が低かったペアやアイスダンスといったカップル種目を黎明期から支え続けてきました。
金メダル獲得後には「日本にこんな素晴らしい企業がある」と称賛する声がメディアやファンの間で相次いでいます。
華やかな舞台の裏側で、地道に支え続けた企業や職人の存在が、日本ペア競技の歴史的快挙を可能にしたといえるでしょう。
りくりゅう結成が日本のペア競技にもたらした変革
日本はフィギュアスケートのペア競技において長年「不毛の地」と呼ばれてきました。
全日本選手権でペアの出場が1組だけ、あるいは実施されない年すら存在したほどです。
りくりゅう以前に日本ペアで最も成功を収めたのは、高橋成美・マービン・トラン組による2012年世界選手権の銅メダルでした。
りくりゅうの活躍はこの状況を一変させています。
2026年のミラノ・コルティナ五輪では、りくりゅうに加えて「ゆなすみ」(長岡柚奈・森口澄士組)も出場し、日本から2組がペア種目に参戦するという史上初の事態が実現しました。
木原選手はメダル獲得後のインタビューで「日本がペア大国になるために」と今後の競技発展への思いを語っており、りくりゅうに憧れてペアを始める子どもたちの登場に期待する声も多く上がっています。
高橋成美氏はミラノ五輪で解説を務め、りくりゅうの演技に感涙する場面が放送されました。
自身が切り拓いた道を後輩が世界の頂点まで押し上げたことへの感慨がにじむ光景は、日本ペア競技の歴史の厚みを象徴するものでした。
りくりゅうの今後と日本ペア競技の展望
2026年2月19日時点で、りくりゅうの引退や現役続行に関する公式な発表は確認されていません。
木原選手は33歳とペア男子としては年齢が高い部類に入りますが、ミラノ五輪で世界歴代最高得点を記録するなど、技術面でのピークはまだ続いている可能性があります。
三浦選手は24歳であり、競技年齢としてはまだ若い段階です。
世界のペア勢力図にも変動が予想されます。
前回北京五輪金メダリストの中国ペア(隋文静・韓聡組)がミラノ五輪を最後に現役引退を表明しており、りくりゅうが名実ともに世界の第一人者となる構図がより鮮明になりました。
国内に目を向けると、「ゆなすみ」ペアの台頭をはじめ、日本のペア競技の選手層が着実に厚みを増しています。
りくりゅうが切り拓いた道が次世代にどうつながっていくのか、今後の動向にも大きな注目が集まっています。
まとめ:りくりゅう結成から金メダルまでの軌跡
- りくりゅうとは三浦璃来選手と木原龍一選手のペアの愛称で、2019年8月5日に正式結成が発表された
- 結成のきっかけは2019年夏の日本スケート連盟トライアルで、コーチの一声が引退寸前の木原選手を氷上に引き戻した運命的な出来事である
- 初回のトライアウトでツイストリフトを試した際の驚異的な高さが、ペア結成を即決させた決定打だった
- 三浦選手は当時17歳の高校生、木原選手は26歳で、9歳差ながら氷上での相性は結成初日から抜群だった
- 結成からわずか4年で世界選手権を制し、年間グランドスラムという日本選手初の偉業を達成した
- 木原選手の腰椎分離症や三浦選手の繰り返す肩関節脱臼など、深刻な怪我を何度も乗り越えている
- 2026年ミラノ・コルティナ五輪ではSP5位から逆転し、フリー世界歴代最高158.13点で日本ペア史上初の金メダルを獲得した
- 技術的な強みはスケーティングスピード、ツイストリフトの高さ、全エレメンツの完成度の高さにある
- 名古屋の特殊鋼メーカーによる国産ブレードや木下グループの支援など、裏方の存在も快挙を支えた
- 「ペア不毛の地」と呼ばれた日本のペア競技に革命を起こし、次世代の選手育成にも大きな影響を与えている

