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小野田紀美はアメリカ国籍だった!国籍離脱の経緯と「ハーフ」なのかを解説

自民党の参議院議員として活躍し、経済安全保障担当大臣などの要職も歴任する小野田紀美氏。

インターネット上では、「小野田紀美はアメリカ国籍を持っているのか?」「ハーフなのか?」という疑問を持つ方が少なくありません。

結論から申し上げますと、小野田紀美氏はかつてアメリカ国籍と日本国籍の二重国籍でしたが、現在は適正な手続きを経てアメリカ国籍を離脱し、日本国籍のみを有しています。

この記事では、小野田紀美氏の国籍離脱の経緯や、ハーフとしての生い立ちについて、事実に基づき時系列で詳しく解説します。

目次

小野田紀美はアメリカ国籍と日本国籍の「ハーフ」

小野田紀美氏のルーツと、なぜアメリカ国籍を持っていたのかについて解説します。

父はアメリカ人・母は日本人の「ハーフ」

小野田紀美氏は、1982年12月7日にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴで生まれました。

父親がアメリカ人、母親が日本人の間に生まれた、いわゆる「ハーフ」です。

出生地主義をとるアメリカで生まれたため、生まれた時点で自動的にアメリカ国籍を有することになりました。

また、その後の手続きにより日本国籍も取得し、日米の多重国籍(二重国籍)の状態となっていました。

1歳から岡山県で育った生い立ち

アメリカで生まれた小野田氏ですが、アメリカでの生活は長くはありませんでした。

1歳の時に日本へ渡り、岡山県邑久郡邑久町(現在の瀬戸内市)で生活を始めています。

2歳の時に父が蒸発し、養育費もなかったという厳しい家庭環境の中で、母の手によって育てられました。

その後、地元の清心中学校・清心女子高等学校を経て、拓殖大学政経学部政治学科を卒業しています。

このように、生まれはアメリカですが、育ちは岡山県であり、自身も「私が話せるのは岡山弁と標準語だけ」と語るほど、日本人としてのアイデンティティを強く持っています。

小野田紀美の米国籍離脱問題とは?経緯を時系列で解説

2016年から2017年にかけて話題となった、小野田紀美氏の「国籍離脱」の経緯について、時系列で詳細に解説します。

いつ、どのような手続きが行われ、二重国籍状態が解消されたのかを見ていきましょう。

2015年:参院選出馬に伴う日本国籍選択手続き

小野田紀美氏は、2015年10月に自民党の岡山県選挙区候補者公募に合格し、国政への挑戦を決意しました。

参議院議員選挙に立候補するにあたり、二重国籍の状態を解消するため、日本国内の役所において「日本国籍選択」と「米国籍放棄」の手続きを行いました。

戸籍謄本には、国籍選択宣言日として「平成27年(2015年)10月1日」と明記されています。

小野田氏は当時、この日本の役所での手続きをもって、全ての処理が完了したと認識していました。

2016年:二重国籍状態の公表と謝罪

2016年、当時民進党の代表だった蓮舫氏の「二重国籍問題」が大きく報じられました。

これを受け、小野田紀美氏は自身の状況を再確認しました。

その結果、日本の法務省に対する国籍選択の宣言は完了していましたが、アメリカ国内法に基づく国籍放棄の手続きが完了していないことが判明しました。

2016年10月4日、小野田氏は自身のFacebook等でこの事実を公表し、知識不足により手続きが完了していなかったことを謝罪しました。

これは、安倍晋三首相(当時)が「基本的にわが党の議員は二重国籍ではないとの認識に立っている」と答弁した直後のことでした。

小野田氏は、言い訳をすることなく「二重国籍解消には米国政府に対する米国籍放棄申請も必要と判明したので手続を進めている」と説明し、速やかにアメリカ側での手続きを開始しました。

2017年:アメリカ国籍喪失証明書の公開

手続き開始から約半年後、正式にアメリカ国籍の離脱が認められました。

2017年5月、小野田紀美氏は、5月2日付で届いた「アメリカ国籍喪失証明書」を自身のSNS(FacebookおよびTwitter)で公開しました。

これにより、名実ともに二重国籍状態は解消され、小野田紀美氏は日本国籍のみの保持者となりました。

この一連の迅速かつ透明性の高い対応は、戸籍謄本の公開を拒む姿勢を見せていた当時の蓮舫氏とは対照的であるとして、ネット上などで評価されることとなりました。

なぜ「二重国籍」の状態になっていたのか

なぜ、小野田紀美氏は成人後も二重国籍の状態が続いていたのでしょうか。

そこには法律の規定と、本人の「日本人としての覚悟」がありました。

国籍法の規定と期限

小野田紀美氏が出生した当時、日本の国籍法は父系血統主義をとっていました(1985年の改正前)。

そのため、出生時には日本国籍を持っていませんでしたが、その後に日本国籍を取得し、日米の多重国籍となりました。

国籍法では、20歳未満で二重国籍となった場合、22歳に達するまでに国籍を選択する義務があります。

小野田氏はこの期限(2004年)を過ぎていましたが、当時の運用では「期限までに選択をしないときは、日本の国籍の選択の宣言をしたものとみなされる」という規定などもあり、直ちに日本国籍を失うわけではありませんでした。

また、25歳前後の頃に外務省に確認した際、「日本のパスポートを使い日本の戸籍謄本があるならば日本国籍を失っていないから大丈夫」という回答を得ていたことも、手続きが遅れた一因となっていたようです。

「日本人として命を投じる」覚悟と戸籍公開

小野田紀美氏は、自身の国籍問題が発覚した際、プライバシーを理由に情報の開示を拒むことはありませんでした。

自民党本部からは「戸籍謄本まで公開しなくていい」と言われたものの、小野田氏は自らの判断で、国籍選択宣言日が記載された戸籍謄本の一部を公開しました。

その理由について小野田氏は、「公人にプライバシーはない」「国会議員である以上、『日本に命を投じられる』ことを証明しなければならない」と語っています。

特に、自身のように海外にルーツを持つ人間だからこそ、疑念を持たれないように証明する必要があるという強い信念を持っていました。

また、戸籍謄本には重国籍者であることが分かる表記がない現状について、「スパイを送り込み放題の仕様」であると指摘し、制度上の問題点についても言及しています。

まとめ

小野田紀美氏のアメリカ国籍と、その離脱の経緯について解説しました。

記事のポイントをまとめます。

  • ハーフである事実: 小野田紀美氏はアメリカ・シカゴ生まれで、父がアメリカ人、母が日本人のハーフです。
  • 二重国籍の発生: 出生地主義によりアメリカ国籍を持ち、後に日本国籍も取得したことで二重国籍となっていました。
  • 国籍離脱の完了: 2015年に日本国籍を選択しましたが、米国側の手続きが残っていました。その後手続きを進め、2017年5月に「アメリカ国籍喪失証明書」を受領し、完全に離脱しました。
  • 透明性のある対応: 戸籍謄本や国籍喪失証明書を自ら公開し、「日本に命を投じる」政治家としての覚悟を示しました。

現在は日本国籍のみを有し、日本の国会議員として活動していることが、公的な証明書によって裏付けられています。

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