「福留光帆って元AKBなの?」「何期生だったの?」「なぜ卒業したの?」と気になっている方は多いのではないでしょうか。
福留光帆はAKB48チーム8の元メンバーですが、在籍中は選抜に一度も入れず、ほぼ無名のまま卒業しています。
ところが卒業後、YouTube番組への出演をきっかけに「大喜利の逸材」として大ブレイクを果たしました。
2025年には体調不良による活動休止を経験しながらも復帰し、2026年現在はテレビ・ラジオ・アイドルグループと幅広い分野で活躍しています。
この記事では、福留光帆のAKB48加入から卒業理由、不遇だった時代の裏側、活動休止の経緯、そして現在の最新活動まで、時系列に沿って詳しく解説していきます。
AKB時代のリアルな実情や、卒業後に成功できた理由まで深掘りしていますので、ぜひ最後までお読みください。
福留光帆はAKB48の何期生?チーム8加入までの道のり
福留光帆は2019年にAKB48チーム8へ加入しました。
いわゆる「ドラフト」や「本体のオーディション」を経た期生ではなく、チーム8の2代目メンバーとして選ばれた経緯を持っています。
ここでは、加入に至るまでの道のりを詳しく振り返ります。
複数の48グループオーディションに落ち続けた過去とは
福留光帆は小学5年生の頃から子役プロダクションに所属しており、幼い頃からアイドルになることを夢見ていました。
中学3年生になると本格的にアイドルを目指し、約1年半にわたってさまざまなオーディションを受け続けています。
HKT48の5期生オーディションでは最終選考まで進んだものの、惜しくも不合格となりました。
NGT48やSKE48のオーディションにも挑戦しましたが、いずれも合格には至っていません。
何度も不合格を経験しながらも諦めずに挑戦し続けた末、ようやくAKB48チーム8の門を叩くことになります。
チーム8の2代目兵庫県代表として加入した経緯
AKB48チーム8は、47都道府県から各1名の代表メンバーで構成される特別なチームです。
「会いに行くアイドル」をコンセプトに、全国各地でのイベントや公演を中心に活動していました。
福留光帆は2019年に兵庫県の2代目代表メンバーとして選出されています。
同年10月6日に正式にお披露目され、チーム8全国ツアーの愛媛県公演で初めてファンの前に立ちました。
AKB48の公式サイトでも、兵庫県代表として「福留 光帆(ふくとめ みつほ)」の名前がプロフィールに掲載されています。
加入時の年齢と同期メンバーの顔ぶれ
福留光帆がチーム8に加入したのは高校1年生、15歳のときでした。
2019年に同時期に加入した同期メンバーには、鳥取県代表の徳永羚海や坂川陽香などがいます。
なかでも鈴木優香とは特に親しい関係にあり、鈴木自身が雑誌のインタビューで「同期の福留光帆ちゃんは親友です」と語っているほどです。
また、チーム8としての活動に加えて、チームBとの兼任も担当していました。
チームBの「アイドルの夜明け」公演で劇場公演デビューを果たしたことが、アイドルとしての第一歩となっています。
福留光帆のAKB48時代はなぜ不遇だったのか
AKB48に在籍していた約2年7ヶ月の間、福留光帆は一度も選抜メンバーに選ばれることがありませんでした。
本人も「AKBにいたけれど、まったく目立てなかった」と振り返っています。
なぜこれほど才能のあるタレントが、AKB時代に埋もれてしまったのでしょうか。
月給3万円とダミーマイクが物語る当時の立ち位置
福留光帆はテレビ番組で、AKB48加入時の月給が3万円だったと明かしています。
AKB48の給与は年俸制で、年に1回提示される金額を12分割して毎月支給される仕組みだったと説明しました。
「忙しくないんですよ。
人気がないから」という言葉が、当時の状況をよく物語っています。
さらに衝撃的なのは、ステージ上で「ダミーマイク」を持たされていたというエピソードです。
電源の入っていないマイクのため、歌っても声が会場に届くことはなかったといいます。
「最近ですよ、電源が入っているマイクを持てるようになったのは」という発言は、AKB時代の不遇さを端的に示すものとして広く知られるようになりました。
コロナ禍で活動が制限された影響はどれほどだったか
福留光帆のAKB48在籍期間は2019年10月から2022年7月までです。
この期間はほぼすべてが新型コロナウイルスの流行時期と重なっていました。
劇場公演の中止や無観客開催、握手会の中断、コンサートの延期・縮小など、アイドルにとって命ともいえるファンとの直接的な交流の場が大幅に制限されたのです。
特にチーム8は全国各地を巡るライブ活動がコンセプトの柱であったため、コロナ禍による影響は他チーム以上に深刻だったと考えられます。
ファンと接触できる機会が極端に少なかったことは、知名度を上げられなかった大きな要因の一つです。
冠バラエティ番組がなく才能を発揮できなかった背景
福留光帆がブレイクした最大の武器は、独特のセンスが光る大喜利力やトーク力です。
しかしAKB48在籍中には、お笑い芸人がMCを務めるグループの冠バラエティ番組が存在していませんでした。
かつてのAKB48には「AKBINGO!」のような番組があり、メンバーのバラエティ的な才能が発掘される場として機能していました。
福留光帆が在籍した時期にはそうした番組がなく、トークや大喜利といった強みを見せる機会がほとんどなかったのです。
加えて、在籍中は高校生だったため、現在の代名詞であるボートレース好きのキャラクターを打ち出すこともできませんでした。
舟券の購入は20歳以上が条件であり、年齢的な制約も足かせとなっていたわけです。
先輩メンバーとの関係で語られたエピソード
2025年11月に放送された日本テレビ系の番組で、福留光帆はAKB48時代に先輩から受けた扱いについて語っています。
自主練習の情報を意図的に隠され、翌日レッスン場で先輩2人に大勢の前で詰められたという内容でした。
本人は「全部ガチ」と述べており、アイドルグループ内の上下関係の厳しさを物語るエピソードとして注目を集めました。
ただし、具体的な個人名については明かされておらず、あくまで当時の環境の一端を示すものとして受け止められています。
華やかなステージの裏側で、新人メンバーが厳しい環境に置かれていた実情を知ることで、卒業に至る背景がより立体的に見えてくるでしょう。
福留光帆がAKBをやめた理由と卒業の真相
福留光帆がAKB48を卒業した理由については「なぜやめたのか」と気になる方が少なくありません。
不祥事が原因だったのではないかと推測する声もありますが、実際にはまったく異なる事情がありました。
ここでは卒業の時期と理由、そして卒業直後の生活について詳しくお伝えします。
卒業理由は「アイドルとして若くはない」という決断だった
福留光帆がAKB48をやめた理由は、不祥事や問題行動によるものではありません。
本人が語った卒業理由は「アイドルとしてこれから頑張るにはもう若くはない」という、将来を見据えた自らの決断でした。
2022年6月1日にSHOWROOMの配信上で卒業を発表し、「加入して約2年半。
色々な事を学び経験させてもらいました」とファンに感謝の気持ちを伝えています。
当時18歳という年齢は一般的には若いですが、AKB48というグループの中では、目立った実績のないまま活動を続けることへの限界を感じていたようです。
コロナ禍の影響で思うような活動ができなかったこと、選抜メンバーに入れなかったことなど、複合的な要因が重なっての判断だったと考えられます。
AKB48の卒業公演はいつ行われたのか
福留光帆の卒業公演は2022年7月28日にAKB48劇場で行われました。
卒業イベントにはチーム8の仲間である服部有菜、奥原妃奈子、山田杏華、上見天乃、藤園麗、同期の坂川陽香が出演しています。
そして同年7月31日、SHOWROOM配信をもってAKB48としてのすべての活動を終了しました。
AKB48公式ブログでも「2022年7月31日をもって卒業を予定しております」と告知されており、正式な手続きを経た円満卒業であったことがわかります。
卒業後に約3ヶ月のニート生活を送った理由
AKB48卒業後、福留光帆は事務所に所属こそしていたものの、約3ヶ月間ほぼ仕事がない状態に陥りました。
本人はこの時期を「ニート生活」と表現しており、実家で過ごす日々が続いたといいます。
医療秘書の専門学校への進学も本気で検討しており、芸能界から完全に離れる一歩手前まで追い込まれていました。
AKB48時代に知名度を獲得できなかったことが、卒業後の仕事の少なさに直結していたのです。
しかし、この苦しい時期を経験したからこそ、後のブレイクがより大きな意味を持つことになります。
AKB卒業後に大ブレイクできた転機とは
AKB48時代はまったく目立てなかった福留光帆が、なぜ卒業後にここまでの人気を獲得できたのでしょうか。
転機となったのは2024年3月のある出来事です。
NOBROCK TVで大喜利の逸材として発見された瞬間
2024年3月、福留光帆はテレビプロデューサー・佐久間宣行が手がけるYouTubeチャンネル「NOBROCK TV」に出演しました。
ドッキリ企画の中で見せた大喜利の回答が、共演したお笑いコンビ・アルコ&ピースの目に留まり、即座に「逸材」として評価されたのです。
続く第2弾の動画「福留光帆は大喜利の逸材なのか検証ドッキリ」では、滝沢カレンや渋谷凪咲に続く”大喜利力”を持つタレントとして本格的に注目を集めました。
佐久間宣行自身もラジオで「偶然発見した逸材」と語っており、この出演が人生を変える大きなターニングポイントとなりました。
AKB時代に埋もれた才能がYouTubeで開花した理由
AKB48ではバラエティ的な才能を発揮する場がなかった福留光帆ですが、YouTubeという媒体がその強みを最大限に引き出しました。
テレビの地上波番組と違い、YouTubeは尺の制限が少なく、自由度の高い企画を実現できます。
大喜利やトークなど、福留光帆のキャラクターに合った企画が次々と生まれ、視聴者から大きな反響を得ました。
個人のYouTubeチャンネルの登録者数は約48万人にまで成長し、AKB時代には想像もできなかった規模のファンベースを築いています。
Instagramのフォロワーも約25万人を超えており、SNS全体での存在感は現役AKBメンバーの多くを凌ぐほどです。
ボートレース好きのキャラクターが活きたタイミング
福留光帆のもう一つの大きな武器が、ボートレースへの本気の愛情です。
AKB48在籍中は高校生で舟券を購入できませんでしたが、卒業後に年齢制限を超えたことで、ボートレースファンとしてのキャラクターを全面に打ち出せるようになりました。
ボートレース関連のイベントやトークショーに頻繁に出演し、「ボートレース界の女神」と呼ばれるまでの存在になっています。
単なるにわかファンではなく、レース展開を本格的に分析できるほどの知識を持っている点が、ボートレースファンからの信頼につながっているのです。
「かわいいのにギャンブルが大好き」という意外性のあるキャラクターは、バラエティ番組でも重宝される個性となりました。
福留光帆の活動休止の理由と復帰までの経緯
2025年初頭、ブレイク真っ只中の福留光帆に突然の活動休止が発表されました。
ファンの間には大きな動揺が広がりましたが、その後無事に復帰を果たしています。
2025年1月に体調不良で活動休止を発表した詳細
2025年1月15日、所属事務所の公式サイトを通じて、福留光帆の芸能活動休止が発表されました。
発表文には「体調不良のため、医師の診断のもと一定期間の療養と安静が必要であるとの判断を受けました」と記載されています。
レギュラー出演していたJ-WAVE「GURU GURU!」をはじめ、すべての芸能活動が一時停止となりました。
具体的な病名は公表されておらず、休止の1ヶ月ほど前から体調不良が続いていたとも報じられています。
ブレイクに伴う過密スケジュールが体調に影響した可能性も一般的に指摘されていますが、詳細は明らかにされていません。
約1ヶ月の療養を経て復帰するまでの流れ
2025年2月10日、所属事務所は福留光帆の活動再開を正式に発表しました。
発表から約1ヶ月という比較的短い期間での復帰となりましたが、事務所は「本人の体調や状況に合わせて無理のないペースで」という方針を示しています。
2月12日放送の「GURU GURU!」から復帰する予定でしたが、体調を考慮して出演は見送られました。
実際にレギュラーラジオに復帰したのは2025年3月12日のことで、段階的にスケジュールを戻していったことがわかります。
復帰後の活動ペースと本人のコメント
復帰後最初の公の場は、2025年2月23日にボートレース福岡で行われたトークショーでした。
ファンの前に久しぶりに姿を見せた福留光帆は、「お久しぶりです」と笑顔であいさつし、多くのファンを安心させています。
3月12日のラジオ復帰時には「ご心配をおかけしてすみません」とリスナーに向けてコメントしました。
復帰以降は徐々に出演本数を増やし、2025年後半にはブレイク前以上の活動量を見せるまでに回復しています。
活動休止という経験を経て、本人の中でも仕事への向き合い方に変化があったのかもしれません。
福留光帆に不祥事や炎上騒動はあったのか
福留光帆の名前を検索すると「不祥事」「炎上」といったワードが関連して表示されることがあります。
実際のところ、いわゆる不祥事と呼べるようなスキャンダルはありませんが、バラエティ番組での発言がネット上で物議を醸したことは事実です。
地上波バラエティで先輩への発言が炎上した経緯
福留光帆が経験した中で最も大きな炎上は、日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」での出来事です。
番組内でAKB48の先輩にあたる柏木由紀に対して行った発言が、「先輩に対して失礼だ」として視聴者から批判を受けました。
本人はこの件について「お茶の間にいっぱい叩かれまして」と振り返り、「過去一番の炎上」だったと語っています。
この経験は、後の活動方針にも大きな影響を与えることになりました。
AKB時代のプロフィールに嘘があったと告白した件
2026年1月放送のテレビ朝日「上田ちゃんネル」で、福留光帆はAKB48時代のプロフィールに嘘を記載していたことを明かしています。
「うそですね」とあっけらかんと告白するスタイルが番組内では笑いを誘い、バラエティとしては盛り上がりました。
プロフィールの虚偽といっても、深刻な経歴詐称のようなものではなく、アイドル時代にありがちな軽い脚色だったと見られています。
むしろこうした正直な告白がファンからは好意的に受け止められ、「裏表がない」という評価につながっている面もあります。
炎上を経て本人が語った地上波への本音
さんま御殿での炎上以降、福留光帆は地上波番組に対する複雑な思いを率直に語るようになりました。
テレビ東京系「あちこちオードリー」では、「地上波ってめちゃくちゃ怖くないですか?」と本音を吐露しています。
「炎上するたびに泣いてますよ」という言葉には、タレントとしてのリアルな苦悩がにじんでいました。
自身の仕事を「テレ朝の深夜で軽く炎上するか、テレ東で平和に出演するかの2択」と自虐的に表現するスタイルは、かえって視聴者からの共感を呼んでいます。
YouTube発のタレントが地上波に進出する際のギャップや難しさを、身をもって体現しているケースといえるでしょう。
福留光帆の現在の活動と2026年最新情報
2026年2月現在、福留光帆はテレビ・ラジオ・YouTube・アイドルグループ・ポッドキャストと多方面で精力的に活動を展開しています。
AKB時代の不遇が嘘のような充実ぶりをご紹介します。
DЯAW♡MEとしてパシフィコ横浜で5000人を動員
2026年最大のトピックが、アイドルグループ「DЯAW♡ME(ドローミー)」としての活動です。
DЯAW♡MEは、YouTube番組「佐久間宣行のNOBROCK TV」から生まれた6人組の女性アイドルグループで、福留光帆はメンバーの一人として参加しています。
2026年1月10日に公開されたデビュー曲「素直でごめんね」のMVは、410万回以上の再生を記録しました。
2月3日にはパシフィコ横浜国立大ホールで初のイベント「NOBROCK FES 2026 ~夢を語ったら叶っちゃった夜~」が開催され、約5,000人を動員しています。
福留光帆は記者会見で「私はAKBにいたんですけど、まったく目立てず、いまが一番アイドル出来ている」と語り、グループの継続と音楽番組への出演を佐久間宣行に直訴しました。
一夜限りの活動という当初の予定がどうなるのか、今後の展開が大いに注目されています。
テレビ・ラジオ・ポッドキャストのレギュラー出演一覧
2026年2月時点で、福留光帆が定期的に出演している番組は以下の通りです。
| メディア | 番組名 | 備考 |
|---|---|---|
| ラジオ | J-WAVE「GURU GURU!」 | 水曜ナビゲーター |
| 動画配信 | 釣りビジョンVOD「福留光帆のFISHING HOLIDAY」 | 冠番組(2025年8月~) |
| ポッドキャスト | 「ヒョーゴ☆トーク〜福留光帆×兵庫県職員〜」 | 兵庫県公式番組(2025年10月~) |
テレビのゲスト出演も多く、ABEMA「しくじり先生」、テレビ東京系「家、ついて行ってイイですか?」、テレビ朝日「上田ちゃんネル」など、幅広い番組に出演しています。
ドラマにも進出しており、2025年にはTBS「わが家は楽し」、2026年1月にはテレビ朝日「未確認日記」に出演しました。
ボートレース界の顔としての活躍と今後の展望
ボートレース関連の活動はさらに拡大しています。
2026年3月に開催されるGI尼崎センプルカップでは、2年連続でイメージキャラクターを務めることが決定しました。
地元・尼崎のボートレース場で大役を任されていることは、地域との結びつきの強さを示しています。
ボートレーサー141期生の募集PRにも起用されるなど、業界からの信頼は揺るぎないものとなっています。
兵庫県の公式ポッドキャスト番組を担当していることからも、地方自治体がタレントとしての発信力を高く評価していることがわかるでしょう。
AKB時代と現在を比較してわかる福留光帆の強み
月給3万円でダミーマイクを持っていたアイドルが、わずか数年で5,000人規模の会場を埋めるタレントに成長しました。
この劇的な変化には、明確な理由があります。
選抜ゼロのアイドルがソロで成功できた理由の考察
福留光帆がAKB卒業後にブレイクできた最大の要因は、グループ活動では見えにくかった個人の才能が、適切な舞台で開花したことにあります。
大喜利のセンス、毒舌とも取れる率直なトーク、ボートレースへの本気の愛情、そして自虐的なユーモアは、いずれもAKB48のグループ活動の枠組みでは発揮しにくい個性でした。
YouTubeという自由度の高い媒体との出会いが、これらの才能を一気に世に知らしめる結果をもたらしたのです。
また「AKBで全く売れなかった」という事実そのものが、ストーリーとしての面白さを生み、視聴者の興味を引くフックとなっている点も見逃せません。
AKBの経験が今のバラエティ力にどうつながっているか
AKB48での不遇な経験は、決して無駄にはなっていません。
月給3万円、ダミーマイク、先輩との厳しい上下関係といったエピソードは、バラエティ番組で語れる強力な「ネタ」となっています。
アイドルグループで培った度胸やステージ慣れも、テレビ出演時の安定感に寄与しているでしょう。
逆境を経験したからこそ生まれる自虐的なユーモアは、お笑い芸人との共演でも臆さないトーク力の源となっています。
AKB48という日本最大級のアイドルグループに所属していた事実は、「元AKB」という肩書きとしてメディアへの入り口を広げる効果も果たしました。
福留光帆のキャリアから学べるセカンドキャリアの形
福留光帆の軌跡は、アイドルのセカンドキャリアにおける一つのモデルケースとして注目に値します。
グループ在籍中に結果を残せなくても、卒業後に別の分野で才能が花開く可能性があることを体現しているからです。
ポイントは、自分の強みを活かせる場を見つけられるかどうかにあります。
福留光帆の場合、大喜利やトークといった能力がYouTubeというプラットフォームで発見されたことが転機でした。
一方で、ブレイク後の体調不良による活動休止が示すように、急激な環境変化には心身のケアが不可欠であるという教訓も見えてきます。
華やかな成功の裏には、ニート生活や炎上といった試練を乗り越えた粘り強さがあることも忘れてはなりません。
まとめ:福留光帆のAKB時代から現在までの軌跡
- 福留光帆は2019年にAKB48チーム8の兵庫県2代目代表として加入した
- 加入前にはHKT48・NGT48・SKE48など複数のオーディションに落ち続けていた
- AKB48時代は約2年7ヶ月在籍したが、選抜メンバーに選ばれたことは一度もない
- 在籍中の月給は3万円で、ステージではダミーマイクを持たされていた
- コロナ禍と冠バラエティ番組の不在が、才能を発揮できなかった主な要因である
- 卒業理由は不祥事ではなく「アイドルとして若くない」という自らの決断だった
- 卒業後は約3ヶ月のニート生活を経験し、芸能界を離れることも検討していた
- 2024年3月のNOBROCK TV出演が大ブレイクのきっかけとなった
- 2025年1月に体調不良で活動休止したが、約1ヶ月後に復帰を果たしている
- 2026年現在はDЯAW♡MEのメンバーとしても活動し、5000人規模のイベントを成功させた

