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りくりゅう2019年の軌跡|引退危機から奇跡の結成までを徹底解説

2019年、フィギュアスケート界に一つの運命的な出会いが生まれました。

現在「りくりゅう」の愛称で世界中から愛される三浦璃来選手と木原龍一選手のペアは、2026年ミラノ・コルティナ五輪で日本ペア史上初の金メダルという歴史的快挙を成し遂げています。

しかし、2019年の結成当時を振り返ると、木原選手はスケートリンクでアルバイトをしながら引退を考えていた時期であり、三浦選手も前のパートナーとの解消直後という不安定な状況でした。

この記事では、りくりゅうの2019年における結成の経緯、当時の成績、2人が乗り越えてきた苦労や試練の数々を、時系列に沿って詳しく解説していきます。

あの衝撃的なトライアウトの瞬間から、結成わずか3か月で国際大会に挑んだ勇気ある挑戦まで、奇跡のペア誕生の全貌をお届けします。

目次

りくりゅうが2019年に結成された経緯とは?運命の出会いを時系列で解説

りくりゅうペアの誕生は、2019年の夏に起きた一連の出来事がきっかけでした。

それぞれ別のパートナーとのペアを解消していた2人が、コーチの仲介によって出会い、わずか数週間で正式にペアを結成するに至ります。

ここでは、運命の出会いに至るまでの経緯を時系列で振り返ります。

木原龍一のシングル時代からペア転向までの道のり

木原龍一選手は、4歳からフィギュアスケートを始め、もともとは男子シングルの選手として活動していました。

全日本ジュニア選手権で2位に入賞し、全日本選手権にも出場して新人賞を獲得するなど、一定の実績を残しています。

しかし、シングルでの成績は伸び悩み、2013年の冬季国体を最後にペアへの転向を決断しました。

ペアに転向した当初は、パートナーを持ち上げるための筋力が足りず、周囲から「非力くん」と呼ばれていた時期もあったといいます。

最初のパートナーは高橋成美選手で、2014年ソチ五輪に出場しましたが、SPで21位に終わりフリーには進めませんでした。

その後、須崎海羽選手とペアを組み、2018年平昌五輪にも出場しましたが、こちらもSP21位でフリーに進出できないという結果に終わっています。

2019年に両者が前パートナーと解消した背景

2019年は、三浦選手と木原選手の双方にとって大きな転機の年でした。

木原選手は2019年2月の練習中にツイストリフトで負傷し、脳震盪と診断されました。

肩の痛みも抱え、出場予定だった世界選手権を欠場せざるを得なくなり、2019年4月8日に須崎海羽選手とのペア解消が発表されています。

一方、三浦璃来選手は市橋翔哉選手とペアを組んで全日本ジュニア選手権ペア種目で3連覇を達成していましたが、2019年7月にペア解消が公表されました。

2人ともそれぞれの事情で次のパートナーを探している状態にあり、タイミングが重なったことが運命の出会いへとつながっていきます。

ブルーノ・マルコットコーチが仲介したトライアウトの全貌

2人を結びつけたのは、世界的なペア指導者であるブルーノ・マルコットコーチでした。

2019年夏、愛知県内のアイスリンクで日本スケート連盟主催のペア教室が開催されました。

中京大学のナショナルトレーニングセンター強化拠点を会場に、シングルからペアへの転向を考えるジュニア選手たちが集まっていた場でもあります。

マルコットコーチは三浦選手と木原選手の両方を見て、「2人を組ませてみたい」と打診しました。

三浦選手の方から木原選手にペア結成を申し出る形で、2019年7月末にトライアウトが実現しています。

初めてのツイストリフトで「雷が落ちた」衝撃の瞬間

トライアウトで2人が初めて一緒にリンクに立った時、衝撃的な出来事が起こりました。

ツイストリフトとは、男性が女性を頭上に投げ、女性が空中で回転する技です。

木原選手が三浦選手を投げた瞬間、これまでのどのパートナーとも比べものにならないほどの滞空時間と高さが出ました。

木原選手はこの感覚を「体に雷が落ちた」「カミナリが落ちるってこういうこと」と表現しています。

三浦選手もまた「ペアはどちらかが合わせるイメージでしたけど、滑ってみてお互いが合いました」と語り、2人とも「この人しかいない」と直感的に感じたとされています。

トライアウトからわずか約2週間後の2019年8月5日、木下グループから新ペア「りくりゅう」の結成が正式に発表されました。

2019年当時の木原龍一が直面していた引退危機と苦労の日々

りくりゅう結成の背景には、木原選手が経験した長く厳しい苦労の日々がありました。

2019年当時の状況を知ることで、なぜこのペア誕生が「奇跡」と呼ばれるのかが理解できます。

脳震盪と肩の負傷で競技継続が困難に

2019年2月、木原選手は練習中のツイストリフトで負傷し、脳震盪と診断されました。

さらに肩の痛みも深刻で、安静が必要な状態が続きます。

出場予定だった四大陸選手権を欠場し、続く世界選手権も欠場を余儀なくされました。

身体的なダメージに加え、須崎選手とのペア解消も重なり、木原選手は競技を続けること自体に大きな不安を抱えていた時期です。

スケートリンクでアルバイト生活を送っていた時期

2019年6月頃、木原選手は古巣の邦和スポーツランド(名古屋市、現・邦和みなと スポーツ&カルチャー)でアルバイトをしていました。

仕事内容は、貸靴カウンターの受付やスケートリンクの氷上監視員といったもので、週に3日程度シフトに入っていたと報じられています。

当時26歳だった木原選手は、周囲の同年代が社会に出て働いている姿を見て、自分の将来に対する不安を強く感じていたそうです。

ペア選手としての競技生活は、シングルに比べて経済的な負担が大きく、成績が伴わなければ続けることが難しい現実がありました。

「シングルに戻って終わろう」と考えていた本音

引退の危機は、木原選手の中で現実味を帯びていました。

「シングルに戻って終わろうかな」という気持ちが頭をよぎっていたことを、のちに本人が明かしています。

高橋成美選手、須崎海羽選手と2人のパートナーとペアを組みましたが、五輪ではいずれもフリーに進出できないという結果が続いていました。

2度の五輪出場という実績はあるものの、世界の舞台で結果を出せない焦りと、次のパートナーが見つかるかどうかの不安が重なり、スケートをやめることも真剣に検討していた時期だったのです。

ある関係者によると、木原選手は「独立リーグ(野球)を受けようかな」と冗談交じりに語ったこともあったといいます。

こうした状況のなかで三浦選手との出会いが訪れたことを、木原選手の周囲は「巡り合えたのは奇跡」と表現しています。

りくりゅう2019-2020シーズンの成績を全試合振り返り

2019年8月にペアを結成したりくりゅうは、その年のうちに国内外の大会に出場し、結成1年目とは思えない成績を残しました。

ここでは、2019-2020シーズンの全試合を振り返ります。

東日本選手権での公式戦デビューはどうだった?

2019年10月、りくりゅうは東日本選手権でペアとしての公式戦デビューを果たしました。

結成からわずか約2か月でのデビュー戦であり、まだプログラムの完成度を高めている最中での出場です。

国内大会とはいえ、初めて公の場で演技を披露するという意味で、2人にとって重要な一歩となりました。

この大会での経験が、翌月に控えた国際大会に向けた自信と課題の発見につながっています。

結成3か月で挑んだNHK杯の得点と順位

2019年11月22日から24日にかけて開催されたISUグランプリシリーズNHK杯(札幌)で、りくりゅうは国際大会デビューを迎えました。

結成からわずか約3か月での挑戦です。

成績は以下の通りでした。

種目 得点 順位
ショートプログラム(SP) 62.41点 6位
フリースケーティング(FS) 117.53点 5位
合計 179.94点 5位

出場8組中5位という結果は、本人たちの予想を大きく上回るものでした。

試合前に「105~106点取れればいい」と考えていたそうですが、実際にはフリーだけで117.53点を記録し、「自分でもびっくり」と語っています。

この大会には2019年世界選手権優勝の隋文静・韓聡組(中国)なども出場しており、世界トップレベルの選手と同じ舞台で戦えたことも大きな経験となりました。

全日本選手権でペア優勝を果たした結成1年目の快挙

2019年12月、第88回全日本フィギュアスケート選手権に出場したりくりゅうは、SP・FSともに1位を獲得しました。

合計170.11点で見事にペア種目を制し、結成1年目にして全日本チャンピオンの座を手にしています。

全日本選手権の優勝は、翌シーズン以降の国際大会への派遣枠にも関わる重要な大会です。

結成間もないペアがこの舞台で優勝するという結果は、2人の相性の良さと急速な成長を証明するものでした。

四大陸選手権8位とコロナによる世界選手権中止

2020年2月に開催された四大陸選手権(ソウル)では8位という結果に終わりました。

国際経験がまだ浅い段階であり、世界トップとの差を実感する大会だったと考えられます。

その後、2020年3月にカナダ・モントリオールで開催予定だった世界選手権への派遣が決定していましたが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により大会自体が中止となりました。

デビューシーズンの最後を飾るはずだった世界選手権に出場できなかったことは、2人にとって大きな痛手でしたが、のちの成長を考えると、この期間がカナダでの練習に集中する時間になったとも言えます。

2019年のりくりゅうに対する周囲の評価と期待値

結成当初のりくりゅうに対して、周囲はどのような目を向けていたのでしょうか。

現在の圧倒的な強さからは想像しにくいかもしれませんが、2019年時点では期待と不安が入り混じった評価でした。

結成当初に「期待はそれほど高くなかった」と言われた理由

りくりゅうの結成時、周囲の期待はそれほど高くなかったと一般的に報じられています。

9歳という大きな年齢差、木原選手の引退寸前だった状況、そして三浦選手がまだ17歳という若さでシニアの国際大会経験がほとんどなかったことが、慎重な見方の要因でした。

さらに、木原選手はこれまで2人のパートナーと組んでも五輪でフリーに進出できないという結果が続いており、3度目のペアで結果を出せるのかという疑問を持つ声もあったとされています。

NHK杯5位の健闘が国内外の関係者に与えた衝撃

しかし、そうした慎重な評価は2019年11月のNHK杯で一変しました。

結成わずか3か月というペアが、世界トップクラスの選手が集まるグランプリシリーズで5位に入ったことは、国内外のフィギュアスケート関係者に大きな驚きを与えています。

特に、フリーでの117.53点という得点は、結成期間の短さを考えると異例の高さでした。

この結果により、「りくりゅうは将来大きく成長する可能性がある」という期待が一気に高まったのです。

9歳差ペアの相性の良さに専門家が注目した理由

りくりゅうに対する評価が高まった最大の理由は、2人の身体的・技術的な相性の良さです。

三浦選手の身長145cmに対し、木原選手は175cmと、約30cmの身長差があります。

この差はリフトやスロージャンプといったペア特有の技において安定感を生み出し、視覚的にも美しい演技を可能にする理想的な体格差とされています。

また、最初のトライアウトから滑りのタイミングが自然に合っていたことは、何年も一緒に練習しても得られない場合がある「天然の相性」と言えます。

コーチのマルコット氏がのちにりくりゅうの演技を「純粋な魔法のようだった」と表現していることからも、2人の相性が特別なものであることがうかがえます。

2019年の結成直後にりくりゅうを襲った試練と逆境

りくりゅうの歩みは、決して順風満帆ではありませんでした。

結成直後から様々な困難に直面し、その一つひとつを乗り越えてきた過程が、のちの強さの礎となっています。

コロナ禍でカナダから帰国できない生活の苦労

2019年夏に結成し、カナダ・オンタリオ州オークビルに練習拠点を移したりくりゅうは、2020年から世界を襲った新型コロナウイルスの影響を直撃しました。

カナダを拠点とする2人は、日本に帰国すると入国時の隔離期間が発生し、練習に大きな支障をきたしてしまいます。

そのため、自由に帰国することができず、海外で2人だけの練習を余儀なくされる生活が長期間続きました。

三浦選手はペア結成時にまだ17歳であり、10代後半という多感な時期に異国の地で家族と離れて過ごすことは、精神的にも大きな負担だったと推察されます。

全日本選手権を2年連続欠場した影響

コロナ禍による渡航制限の影響で、りくりゅうは2020年と2021年の全日本選手権を2年連続で欠場しています。

全日本選手権はシーズンの総決算であり、国際大会への派遣選手を決定する最重要の国内大会です。

この舞台に出られないことは、国内での認知度やファンとの接点を失うだけでなく、代表選考にも影響しかねない深刻な問題でした。

2019年12月の全日本選手権から次の実戦までは約1年3か月が空き、2021年の世界選手権がようやくの復帰戦となっています。

「お葬式みたい」と言われた笑顔を失った時期

りくりゅうには、試合で笑顔を見せられなくなった時期もあったことが明かされています。

ある大会で優勝したにもかかわらず、キス&クライ(得点を待つエリア)で全く笑わずにうなだれていたことがありました。

その映像をテレビで見ていた木原選手の母親から「あなたたち、お葬式みたいね」というメッセージが送られたというエピソードが報じられています。

「試合が怖い」と感じた時期があったことも、のちに2人は率直に語っています。

コロナ禍での孤立した練習環境、国際大会での厳しい競争、怪我への不安など、様々な要因が重なった結果だったのでしょう。

こうした暗い時期を共に乗り越えた経験が、2人の間に揺るぎない信頼関係を築いていったと言えます。

2019年の結成を支えた環境とサポート体制

りくりゅうが2019年の結成から着実に成長できた背景には、選手を取り巻く強力なサポート体制がありました。

コーチ、スポンサー、そして用具を支える職人まで、多くの人々の支えがペアの成長を後押ししています。

木下グループが結成時から続けるカップル種目への支援

りくりゅうの所属する木下グループは、ペア結成時の2019年からサポートを開始しました。

日本のフィギュアスケート界では、シングル種目に比べてペアやアイスダンスといったカップル種目は人気面でも支援面でも後れを取っていた歴史があります。

木下グループはこのカップル種目を黎明期から支援してきた企業であり、2人分の練習費用、海外遠征費、リンクの貸し切り(1枠3万6000円を1日7枠確保することもあったとされる)など、手厚いバックアップを行っています。

カナダの練習拠点に食材を日本から送ったり、現地を訪問して生活の様子を確認する「家庭訪問」を行ったりと、競技面だけでなく生活面までサポートしてきたことが報じられています。

カナダ・オークビルの練習拠点とコーチ陣の役割

りくりゅうの練習拠点は、カナダ・オンタリオ州のオークビルに置かれています。

指導するのはブルーノ・マルコットコーチを筆頭に、メーガン・デュハメルコーチ(元ペア五輪メダリスト)、ブライアン・シェイルズコーチらの布陣です。

マルコットコーチは2019年のトライアウトから2人を見守り続けてきた存在であり、りくりゅうにとっては競技面だけでなく精神面でも大きな支えとなっています。

2026年ミラノ五輪のSPで5位に沈んだ際も、マルコットコーチは「まだ終わっていない」「9回裏2アウト取られるまで試合は終わらない」と野球のたとえを用いて2人を鼓舞したエピソードが伝えられています。

国産ブレードの開発協力と足元を支えた職人技

りくりゅうの足元を支えている用具にも注目すべき物語があります。

2人が使用しているスケート靴のブレード(刃)は、「YSブレード」と呼ばれる国産品です。

開発者の石川貴規氏が手がけるこのブレードは、欧米メーカーがパーツを溶接して製造するのとは異なり、特殊鋼の塊から一体削り出しで作られる独自製法を採用しています。

価格は相場より約5万円高いものの、強度は約3倍を誇ります。

木原選手は開発段階から耐久テストに協力しており、完成品で初めて滑った際に「伸びがすごい」と感動したと報じられています。

2019年のペア結成後、三浦選手もこのブレードを使用するようになり、2人の演技の安定感を足元から支え続けています。

木原龍一の肉体改造はいつから?ペア転向後の驚異的な変化

ペア競技では男性がパートナーをリフトやスロージャンプで持ち上げるため、シングルとは比較にならない筋力が求められます。

木原選手がペアへの転向後に遂げた肉体改造は、りくりゅうの成功を語る上で欠かせない要素です。

「非力くん」と呼ばれていたシングル時代の体格

木原選手は身長175cmとスケーターとしては比較的高身長ですが、シングル時代の体重は約60~61kgと細身の体型でした。

2013年にペアへ転向した当初は、パートナーを持ち上げる力が十分ではなく、リンク仲間から「非力くん」というあだ名をつけられていたこともあったそうです。

シングルでは軽さとジャンプの回転力が重視されるため、筋肉量を増やす必要はありませんでしたが、ペアでは全く異なるフィジカルが求められます。

体重を15kg以上増量した過酷な筋トレの裏側

ペア転向後、木原選手は15kg以上の増量に取り組みました。

この増量は単に食事量を増やせば達成できるものではなく、日々の筋力トレーニングと並行して進める必要があります。

大胸筋を中心とした上半身の筋力強化に加え、リフト時にパートナーを支えるための体幹トレーニングも欠かせません。

増量の過程では、過食によって体調を崩し、トイレにこもって吐いてしまった夜もあったことが報じられています。

身体を大きくすること自体がスケーターにとっては滑りの感覚を変えるリスクを伴うため、精神的にも大きな苦労があったと考えられます。

服のサイズがSからXLへ変わるまでの道のり

肉体改造の結果、木原選手の服のサイズはSからXLへと劇的に変化しました。

シングル時代のほっそりとした体型から、ペア選手としてパートナーを安定して持ち上げられるたくましい体格へと生まれ変わっています。

2019年の三浦選手とのペア結成時には、すでにこの肉体改造をある程度完了していた段階であり、トライアウトでの「雷が落ちた」ような衝撃的なツイストリフトも、こうした地道な身体づくりの上に成り立っていたのです。

なお、恩師の証言によると、かつて「非力くん」と呼ばれていた面影はなく、「大胸筋がムキムキになっていた」と驚かれたそうです。

2019年から2026年五輪金メダルまでの成長を比較

2019年のペア結成から2026年のミラノ・コルティナ五輪金メダルまで、りくりゅうは約7年かけて世界の頂点に到達しました。

ここでは、得点の推移と主要な成績の変遷を通じて、その成長の軌跡を確認します。

NHK杯デビューの179点から五輪231点への得点推移

りくりゅうの成長は、得点の推移に如実に表れています。

大会 時期 合計得点
NHK杯(国際大会デビュー) 2019年11月 179.94点
全日本選手権(初優勝) 2019年12月 170.11点
北京五輪(個人戦) 2022年2月 211.89点
世界選手権(初優勝) 2023年3月 222.16点
ミラノ五輪(金メダル) 2026年2月 231.24点

2019年のNHK杯での179.94点から、2026年ミラノ五輪での231.24点まで、約51点もの向上を遂げています。

この成長は、技術の向上だけでなく、表現力の深まり、ペアとしての一体感の進化、そして精神面の成熟を総合的に反映したものと言えるでしょう。

日本ペア史上初の年間グランドスラム達成までの道

2022-2023シーズンは、りくりゅうにとって飛躍のシーズンとなりました。

グランプリシリーズのスケートカナダとNHK杯で連勝し、日本人同士のペアとして初めてグランプリファイナルに進出して優勝を果たしています。

さらに四大陸選手権、世界選手権も制し、フィギュアスケートの全カテゴリを通じて日本選手初、アジア初となる年間グランドスラムを達成しました。

年間グランドスラムとは、同一シーズンにグランプリファイナル、四大陸選手権(または欧州選手権)、世界選手権の主要3大会を全て制することを指します。

2019年の結成からわずか4シーズン目にして、世界の頂点に立ったのです。

五輪史上最大の逆転劇で世界歴代最高得点を更新

2026年2月のミラノ・コルティナ五輪では、ドラマチックな展開が待っていました。

SPではリフトでミスが出て73.11点の5位発進となり、首位とは6.90点の差がついてしまいます。

しかし翌日のフリーで、りくりゅうは圧巻の演技を披露しました。

冒頭のトリプルツイストリフトを完璧に決めると、続く全てのエレメンツを高い完成度でまとめ上げ、フリーの世界歴代最高得点となる158.13点を叩き出しています。

合計231.24点で大逆転の金メダルを獲得したこの勝利は、現行採点方式における五輪史上最大の逆転差とされています。

33歳の木原選手は日本冬季五輪最年長の金メダリストにもなりました。

りくりゅうが日本フィギュアのペア競技に与えた歴史的な意義

りくりゅうの活躍は、単に1組のペアの成功にとどまりません。

日本のフィギュアスケート界全体、そしてペア競技の未来に大きな影響を与えるものです。

日本ペア種目が長年「弱点」とされてきた理由

日本のフィギュアスケートは、荒川静香選手や羽生結弦選手らのシングル種目での活躍により世界的な強豪国として知られています。

しかし、ペア種目は長年「弱点」とされてきました。

理由としては、日本人選手の平均的な体格が欧米やロシアの選手と比べて小柄であること、ペア競技の指導者やノウハウが国内に少なかったこと、そして経済的な支援体制が十分でなかったことなどが挙げられます。

五輪のペア種目における日本勢の最高成績は、2022年北京五輪でのりくりゅう自身による7位が最高であり、メダル獲得は一度もありませんでした。

女子・男子・ペアの五輪金メダルを揃えた歴史的快挙

2026年ミラノ五輪でのりくりゅうの金メダルにより、日本はフィギュアスケートの五輪金メダルを3カテゴリで獲得した国となりました。

2006年トリノ五輪の女子シングル(荒川静香選手)、2014年ソチ五輪・2018年平昌五輪の男子シングル(羽生結弦選手)、そして2026年ミラノ五輪のペア(りくりゅう)です。

日本のフィギュアスケート界において、最後のピースとも言えるペアの金メダルが埋まったことは、競技全体の歴史を塗り替える出来事と言えます。

りくりゅうの活躍が次世代の日本ペア選手に与える影響

りくりゅうの成功は、日本の次世代のペア選手にとって大きな希望となっています。

「日本人同士のペアでも世界の頂点に立てる」という事実を証明したことで、ペア転向を検討するジュニア選手にとって具体的な目標が生まれました。

木下グループのようなスポンサーの支援実績が示されたことや、国産ブレードの技術力が世界に通用することが証明されたことも、競技環境の改善につながる要素です。

りくりゅうが切り拓いた道は、日本のペア競技に新たな時代をもたらすものになるでしょう。

りくりゅう2019年結成にまつわるよくある疑問まとめ

りくりゅうの2019年の結成に関して、多くの人が疑問に思うポイントをまとめました。

2人は付き合っているの?海外メディアも注目する関係性

2026年ミラノ五輪での金メダル獲得後、海外メディアが「Are Riku and Ryuichi dating?」(三浦璃来と木原龍一は付き合っているのか?)というストレートな見出しで記事を掲載し、大きな話題となりました。

氷上での息の合った演技に加え、オフでも「龍一くん」「璃来ちゃん」と呼び合う親密な関係性が注目を集めています。

ただし、2人の交際に関する公式な発表はなく、あくまでもペアとしての深い信頼関係が伝わっているという状況です。

ペア結成当初、木原選手が三浦選手に「僕を好きにならないでいい」と伝えたというエピソードも報じられており、競技に集中するための線引きを意識していたことがうかがえます。

「龍一くん」「璃来ちゃん」と呼び合う信頼関係のルール

9歳の年齢差がありながら敬語を使わず、互いを「龍一くん」「璃来ちゃん」と呼び合うのがりくりゅう流です。

試合前にはマリオカートや桃太郎電鉄などのゲームで対戦して気分を盛り上げるのが恒例行事だと言われています。

一方で、2人の間には「問題が生じたらその日のうちに解決する」というルールが設けられています。

不満や悩みを翌日に持ち越さないことで、信頼関係を崩さない工夫がなされているのです。

こうした関係性の構築も、2019年の結成当初から積み重ねてきた2人の努力の結晶と言えるでしょう。

2019年のプログラム曲は何だった?

りくりゅうの2019-2020シーズンの使用曲についても関心が寄せられています。

デビューシーズンのプログラムは、マルコットコーチやデュブレイユ氏ら振付師陣が手がけたもので、2人の個性と相性を引き出す選曲がなされていました。

なお、現在のプログラムについては、SPが「Paint It Black」(振付:シェイ=リーン・ボーン)、FSが映画「グラディエーター」より(振付:マリー=フランス・デュブレイユ)となっており、デビュー当時から大きく進化した表現力で世界を魅了しています。

まとめ:りくりゅう2019年の結成から金メダルまでの全軌跡

  • りくりゅうは2019年8月5日に正式にペアを結成し、愛称は三浦璃来の「りく」と木原龍一の「りゅう」に由来する
  • 木原選手は2019年当時、脳震盪や肩の負傷を抱え、スケートリンクでアルバイトをしながら引退を考えていた
  • 三浦選手は市橋翔哉選手とのペア解消直後の17歳で、自ら木原選手にペア結成を申し出た
  • ブルーノ・マルコットコーチの仲介によるトライアウトで、初のツイストリフトに「雷が落ちた」衝撃を受けてペアが誕生した
  • 2019年NHK杯では結成3か月で国際大会デビューし、合計179.94点で5位と予想を大きく上回る成績を残した
  • 2019年全日本選手権ではSP・FS共に1位で、結成1年目にしてペア優勝を達成した
  • 結成直後にコロナ禍に見舞われ、カナダから帰国できない生活や全日本選手権2年連続欠場という試練に直面した
  • 木下グループが2019年の結成時から一貫してカップル種目を支援し、練習環境や生活面をサポートしてきた
  • 木原選手はシングル時代の約60kgから15kg以上の増量を遂げ、「非力くん」から五輪金メダリストへと変貌を遂げた
  • 2019年の結成から7年目の2026年ミラノ五輪で、フリー世界歴代最高158.13点・合計231.24点で日本ペア史上初の金メダルを獲得した
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