フィギュアスケート・ペアの「りくりゅう」こと三浦璃来選手と木原龍一選手は、2026年2月のミラノ・コルティナ五輪で日本ペア史上初の金メダルを獲得しました。
華やかな栄光の裏には、脳震盪、腰椎分離症、繰り返す肩の脱臼など、数々の病気や怪我との壮絶な闘いがあります。
木原選手の目が斜視ではないかという話題も、検索される頻度の高いテーマです。
この記事では、りくりゅうペアが経験してきた病気と怪我のすべてを時系列で整理し、どのように克服して世界の頂点に立ったのかを詳しく解説していきます。
体力面やメンタル面での取り組み、薬に頼らない回復法、そして喘息のように体力を奪う発作的なトラブルへの対処法まで、網羅的にお伝えします。
りくりゅうが乗り越えてきた病気と怪我の全体像
木原龍一と三浦璃来が経験した病気・怪我の一覧と時系列
りくりゅうペアの競技人生は、常に病気や怪我との隣り合わせでした。
以下は、二人が経験してきた主な傷病の時系列です。
| 時期 | 選手 | 傷病名 | 影響 |
|---|---|---|---|
| 2018-2019シーズン | 木原龍一 | 脳震盪 | 四大陸選手権・世界選手権を欠場 |
| 2019年頃 | 木原龍一 | 関節唇損傷 | 引退を検討するほどの深刻さ |
| 2022年7月 | 三浦璃来 | 左肩脱臼 | 2カ月間ペアでの練習不可 |
| 2023年8月〜 | 木原龍一 | 腰椎分離症 | GPシリーズ全戦・全日本選手権を欠場 |
| 2024年3月 | 三浦璃来 | 左肩亜脱臼 | 世界選手権フリーで演技に影響 |
| 2024年12月 | 三浦璃来 | 左肩脱臼 | GPファイナルのフリーで演技崩壊 |
| 2025年12月 | 三浦璃来 | 左肩脱臼 | 全日本選手権フリーを棄権 |
木原選手は脳の損傷や腰の疲労骨折といった重大な傷病を経験しています。
三浦選手は左肩の脱臼が慢性化し、試合直前の発作的なアクシデントに何度も見舞われてきました。
こうした怪我の一つ一つが、二人の体力を削り、競技生活の存続すら危ぶまれる場面を生み出しています。
度重なる故障を克服しミラノ五輪金メダルに至るまでの軌跡
りくりゅうペアの道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
2019年のペア結成当初、木原選手は脳震盪や関節唇損傷の後遺症に苦しみ、引退すら頭をよぎっていた時期です。
三浦選手からのトライアウトの誘いがなければ、木原選手はスケート界から去っていた可能性すらあったと本人が語っています。
ペア結成後はカナダに拠点を移し、ブルーノ・マルコットコーチのもとで急成長を遂げました。
2022年の北京五輪では日本ペア過去最高の7位に入り、2023年には世界選手権で日本ペア初の優勝を達成しています。
しかし翌2023-2024シーズンは木原選手の腰椎分離症によりシーズン前半を全休するなど、苦難の連続でした。
2025年12月の全日本選手権では三浦選手が演技直前に左肩を脱臼し、フリーを棄権する事態に追い込まれています。
それでも二人は諦めることなく、2026年2月のミラノ五輪ではショートプログラム5位からの大逆転で金メダルを掴みました。
フリーでは世界歴代最高の158.13点を叩き出し、合計231.24点という圧倒的なスコアで歴史を塗り替えたのです。
木原龍一の目は斜視?病気の真相と競技への影響
木原龍一の内斜視は先天性か後天性か|脳震盪との関係は
木原龍一選手の目が内側に寄って見えることから、斜視ではないかという関心がインターネット上で高まっています。
一般的な見解として、木原選手は先天性の内斜視であるとされています。
幼少期の写真でも同様の目の状態が確認されており、生まれつきの特徴であるという見方が主流です。
一部では2018-2019シーズンに経験した脳震盪が原因ではないかとする説も存在します。
しかし、脳震盪を起こす以前から同じ状態であったことが確認されているため、脳震盪との因果関係は否定的に捉えられています。
なお、木原選手本人が斜視について公式にコメントしたことはなく、病名や診断結果が公表された事実もありません。
ネット上に出回っている情報の多くは、外見からの推測や匿名掲示板での憶測に基づいているため、確定的事実として受け取る際には注意が必要です。
斜視の手術をしない理由はペア競技の空間認識にあるのか
木原選手がなぜ斜視の手術を受けないのかという疑問も、多くの人が抱くテーマの一つです。
本人が理由を明かしていないため確定的なことは言えませんが、いくつかの合理的な推測がなされています。
まず、現時点で競技に支障が出ていないという点が挙げられます。
木原選手は斜視がある状態で世界選手権を2度制覇し、五輪金メダルも獲得しています。
視覚面でのハンデが競技成績に影響を与えていない以上、あえてリスクを冒して手術する必要性が低いと考えられるでしょう。
さらに、ペア競技ではパートナーとの距離感や空間認識が極めて重要です。
斜視の手術は眼筋の位置を調整する外科的処置であり、術後に見え方が変わる可能性があります。
長年の競技生活で培った感覚が手術によって崩れるリスクを避けている可能性は十分に考えられます。
日本眼科学会の情報によれば、斜視手術は完治しないケースもあり、再手術が必要になる場合もあるとされています。
薬による治療法としてはボツリヌス毒素の注射がありますが、効果は一時的で数カ月で元に戻るため、継続的な注射が必要です。
こうした治療のリスクやデメリットを総合的に判断した結果、現状維持を選択していると推測するのが自然でしょう。
斜視がありながら世界最高得点を出せる視覚の仕組み
斜視があるにもかかわらず、木原選手が世界トップレベルの演技を実現できている点は注目に値します。
斜視とは、片方の目が目標と異なる方向を向いてしまう状態のことです。
日本眼科学会によると、子どもの約2%に見られる比較的一般的な症状で、日常生活に大きな支障をきたさないケースも多くあります。
木原選手の場合、幼少期からこの状態で生活してきたため、脳が長年かけて視覚情報を補正する仕組みを構築していると考えられます。
実際に、三浦選手を頭上に持ち上げるリフトや、高速で回転するツイストリフトなど、極めて高い空間認識能力を要する技を正確にこなしています。
斜視を抱えながらもフリーで世界歴代最高得点を記録した事実は、木原選手が視覚のハンデを完全に克服していることの証明と言えるでしょう。
木原龍一を襲った脳震盪と関節唇損傷の深刻度
2018年練習中の脳震盪で四大陸・世界選手権を欠場した経緯
木原龍一選手の競技人生における最初の大きな試練は、2018-2019シーズンに襲った脳震盪でした。
練習拠点のデトロイトでの練習中に頭部を強打し、脳震盪と診断されています。
脳震盪はスポーツ選手にとって非常に深刻な傷病であり、完全に回復するまで安静にすることが絶対条件です。
木原選手はこの怪我の影響で、四大陸選手権と世界選手権への出場を断念せざるを得ませんでした。
当時のペアパートナーであった須崎海羽選手との活動にも大きな影響が及び、結果的にペア解消の一因になったとも言われています。
脳への衝撃は体力の回復だけでは測れない深刻さがあり、認知機能や平衡感覚にも影響を及ぼす可能性があります。
フィギュアスケートのように高速回転やジャンプを伴う競技では、脳震盪のリスクは常に存在し、一度経験すると再発の恐れも高まります。
関節唇損傷が重なり引退を考えた暗黒期の告白
脳震盪からの回復途上にあった木原選手を、さらなる試練が襲いました。
肩の関節唇損傷です。
関節唇とは、肩関節の受け皿を取り囲む軟骨のリング状の組織のことで、損傷すると肩の安定性が失われ、激しい痛みを伴います。
木原選手はミラノ五輪の金メダル獲得後の記者会見で、当時の心境をこう振り返っています。
「ペアの技術力のなさを感じていた時期で、脳震盪、関節唇損傷といったけがもあった。そろそろ引退した方がいいのかなと思っていた」
この言葉からも、当時の木原選手がいかに追い詰められていたかが伝わってきます。
国際大会で結果を出せない焦り、度重なる怪我による体力の低下、そしてアルバイトをしながら競技を続ける経済的な厳しさ。
28歳になっていた木原選手にとって、スケートを続ける意味すら見失いかけていた時期でした。
喘息のような体力消耗を伴う怪我からの復帰に必要な期間
脳震盪や関節唇損傷からの復帰には、長い時間と段階的なリハビリが必要です。
脳震盪の場合、一般的に軽度であっても最低2週間から数カ月の安静期間が求められます。
症状が重い場合は、めまい、頭痛、集中力の低下といった後遺症が数カ月以上続くこともあります。
フィギュアスケーターにとって、こうした症状は喘息の発作時に体力が一気に奪われるのと似た深刻さがあります。
回転やジャンプの着氷時に平衡感覚が狂えば、新たな怪我につながりかねないからです。
関節唇損傷の回復にも通常3カ月から半年程度の期間が必要で、完全復帰にはリハビリを含めてさらに時間を要します。
木原選手の場合、これらの怪我が重なった2018年から2019年にかけての期間は、競技者としてのブランクが避けられない状況でした。
この暗黒期を経て三浦選手と出会い、新たなペアを結成したことが、木原選手の競技人生における最大の転機となったのです。
腰椎分離症はフィギュアスケーターの職業病なのか
木原龍一が2023年に診断された腰椎分離症とはどんな病気か
腰椎分離症とは、腰椎の後方部分に亀裂が入る傷病です。
一度の衝撃で起きるのではなく、ジャンプや腰の回旋を繰り返すことによる疲労骨折が原因とされています。
木原選手は2023年8月頃から腰に違和感を覚えていましたが、「ペアスケーターは皆、常に腰痛はあるものなので大丈夫」と油断していたと本人が振り返っています。
しかし痛みは徐々に悪化し、カナダの練習拠点で診察を受けた結果、腰椎分離症と診断されました。
日本整形外科学会の公式情報によると、腰椎分離症は主に成長期に発症する疾患です。
発育期にスポーツで腰に負荷をかけ続けることで骨に亀裂が入り、大人になってから症状が顕在化するケースも少なくありません。
木原選手の場合も、長年のフィギュアスケートの練習による蓄積疲労が、30歳を超えた時点で限界に達した可能性があります。
スポーツ選手の30〜40%が発症する疲労骨折のメカニズム
腰椎分離症は、スポーツ選手に極めて多く見られる傷病です。
日本整形外科学会のデータによると、一般の人では約5%の発症率であるのに対し、スポーツ選手では30〜40%にまで跳ね上がります。
この大きな差が生じる原因は、反復する体幹の動きにあります。
特に腰を反る動作(伸展)とひねる動作(回旋)の組み合わせが腰椎に過大なストレスを与えます。
フィギュアスケートは、ジャンプの踏み切りと着氷、スピンでの回転、リフトでパートナーを支える際の体幹負荷など、まさにこの動作の連続です。
専門家からは「フィギュアスケーターの職業病と言ってもいい」という指摘もあり、木原選手だけが特別に弱いわけではありません。
同様の疾患は野球選手やサッカー選手にも多く見られ、発育期から激しいトレーニングを重ねてきたアスリート全般に共通するリスクと言えます。
GPシリーズ・NHK杯・全日本選手権を全欠場した治療の全貌
腰椎分離症の治療で最も重要なのは、安静にすることです。
専門医によると、早期であれば3カ月、進行期であれば6カ月の安静が必要とされています。
木原選手は2023年10月にGPシリーズ第1戦のスケートアメリカを欠場し、続く第6戦のNHK杯も欠場を余儀なくされました。
12月の全日本選手権も出場できず、4年連続の欠場という結果に終わっています。
本人は「全日本選手権に出場できないことをとても残念に思っています」とコメントを発表しましたが、ミラノ五輪を見据えて完治を優先する判断が下されました。
復帰戦は2024年1月の四大陸選手権でした。
約5カ月ぶりの実戦にもかかわらず銀メダルを獲得し、続く世界選手権でも2位に入って復活を印象づけています。
進行すると「分離すべり症」に移行し手術が必要になるリスクもあった中で、保存療法による完治を果たした木原選手の治療判断は、結果的に正しかったと言えるでしょう。
腰椎分離症の発作的な痛みを防ぐために見直した食事と栄養管理
腰椎分離症の治療において、木原選手が注目したのは食事の改善でした。
安静期間中に少しでも早く復帰するため、「できることはなんでもやろう」という姿勢で栄養面の見直しに着手しています。
きっかけは、マネージャーからフィギュアスケートの佐藤駿選手がスポーツ栄養サポートを受けているという情報を得たことでした。
木原選手は公認スポーツ栄養士と管理栄養士の2名体制でオンラインの栄養サポートを開始しました。
サポート前の食事には大きな問題がありました。
ボディビルダー向けの情報を参考にした結果、鶏胸肉とブロッコリーばかりの極端にストイックな食事を続けており、炭水化物の摂取量が明らかに不足していたのです。
栄養士からの指導で、運動強度に合わせた炭水化物の適正摂取を開始し、たんぱく質も鶏肉だけでなく豚肉・牛肉・魚をローテーションする方式に変更しました。
木原選手は「食事を変えてからエネルギー切れがなくなった」と語っており、体力面での改善を実感しています。
腰椎分離症は薬で根本的に治せる疾患ではないため、食事による体づくりと栄養管理が回復を支える重要な柱となったのです。
三浦璃来の左肩脱臼はなぜ繰り返すのか
2022年から続く左肩脱臼の発生履歴と原因
三浦璃来選手の左肩脱臼は、りくりゅうペアにとって最も深刻な慢性的リスクの一つです。
確認されている主な脱臼の履歴は以下の通りです。
2022年7月にアイスショーで左肩を脱臼し、約2カ月間ペアでの練習ができなくなりました。
2024年3月の世界選手権では、フリー当日の6分間練習で転倒した際に左肩を亜脱臼しています。
同年12月のGPファイナルでもフリーの公式練習中に脱臼が発生し、演技が大きく崩れました。
そして2025年12月の全日本選手権では、ショートプログラム直前の6分間練習中に再び左肩を脱臼する事態に見舞われています。
脱臼が繰り返される原因として、ペア競技特有の動作による肩への負荷が挙げられます。
スロージャンプでは木原選手に投げ上げられる際に肩関節に強い力がかかり、リフトでも頭上で体を支える際に肩が不安定な状態にさらされます。
一度脱臼すると関節を支える靱帯や関節唇が緩み、再発しやすくなるのが医学的な特徴です。
三浦選手の左肩は「古傷」であると報じられており、発作的に外れてしまうリスクを常に抱えながら競技を続けている状況です。
反復性脱臼のリスクと手術せず筋肉強化で対処する選択
一般的に、肩の脱臼を3回以上繰り返すと「反復性脱臼」と呼ばれ、手術による修復が推奨されるケースが多くなります。
三浦選手は確認されているだけでも4回以上の脱臼を経験しており、反復性脱臼に該当する状態です。
それにもかかわらず、三浦選手は手術ではなく筋肉強化による対処を選択しています。
この判断の背景には、ミラノ五輪という明確な目標がありました。
肩の脱臼修復手術は、術後のリハビリに通常4〜6カ月を要します。
手術に踏み切れば五輪出場のスケジュールに間に合わなくなるリスクがあり、現実的な選択肢にならなかった可能性が高いと言えます。
代わりに三浦選手が選んだのは、肩関節を支える周囲の筋肉を徹底的に鍛えるというアプローチでした。
筋肉で関節を補強することで、脱臼の再発リスクを低減させながら競技を継続する道を選んだのです。
ただし、手術を行わない限り根本的な解決にはならないため、今後の競技生活においてもリスクが残り続ける点には注意が必要です。
全日本選手権で演技直前に脱臼しても滑り切った対処法の詳細
2025年12月20日の全日本選手権で起きたアクシデントは、りくりゅうの対応力を象徴する出来事でした。
ショートプログラム直前の6分間練習中、スロールッツジャンプに入る前のクロスカットの段階で三浦選手がつまずき、左肩を脱臼しました。
三浦選手はすぐにリンクサイドでトレーナーの手当てを受けています。
注目すべきは、三浦選手がトレーナーに「もし演技中に外れたらどこを押せばいいか」と、演技中に自分で肩を戻す方法を確認していた点です。
これは過去の脱臼経験から、発作的なアクシデントへの対処法を事前に学んでいたことを示しています。
木原選手は「心臓が止まるかと思った」と振り返りましたが、二人は棄権せず演技に臨む決断をしました。
木原選手はリフトの際に三浦選手の肩への負担を最小限に抑えるよう対応し、三浦選手も痛みを抱えながら滑り切りました。
結果は、ISU非公認ながら世界歴代最高を上回る84.91点での首位発進です。
ただし五輪本番を優先するため、翌日のフリーは棄権という判断が下されています。
脱臼を薬や手術に頼らず肩周辺の筋トレで克服した回復プロセス
全日本選手権でのフリー棄権後、三浦選手の回復プロセスは迅速に進みました。
2025年12月22日の会見で三浦選手は「ケガ自体は昨年のファイナルでの脱臼より、そこまでひどくなっていない」と軽傷を強調しています。
12月28日にはカナダ・オークビルの拠点で練習を再開し、軽めのリンク練習と陸上トレーニングからスタートしました。
この回復期間で特に重要だったのが、病院での検査結果を踏まえた肩周辺の筋肉トレーニングの根本的な見直しです。
薬に頼る治療ではなく、肩関節を支える周囲の筋肉を以前とは異なるアプローチで鍛え直すことに注力しました。
2026年1月30日にミラノに到着した際、三浦選手は「スケート人生で一番調子がいい」と回復を強調しています。
2月3日の初練習では「周りの筋肉で補強してて、フッ!って感じです」と擬音で表現するほど手応えを感じていたようです。
結果的に、脱臼から約1カ月半で五輪本番を迎え、団体戦と個人戦の両方で世界最高クラスの演技を披露することに成功しました。
筋肉強化による対処は対症療法であり根本治療ではありませんが、短期間での競技復帰を可能にした点は高く評価できるアプローチです。
怪我を乗り越えるために実践した体づくりと体力強化の裏側
公認スポーツ栄養士と取り組んだ食事改善の具体的な内容
木原選手が栄養サポートを受け始めたのは、2023年10月に腰椎分離症と診断された直後のことでした。
サポートを担当したのは、大手給食サービス企業に所属する公認スポーツ栄養士と管理栄養士の2名です。
カナダに練習拠点を置く木原選手との連携は、すべてオンラインで行われました。
まず実施されたのは、普段の食事内容の徹底的な分析です。
木原選手は毎食の写真をLINEで送り、食べた内容を細かく記録する作業に取り組みました。
分析の結果、鶏胸肉とブロッコリーに偏った食事では、直接的なエネルギー源となる炭水化物が大幅に不足していることが判明しています。
改善策として、運動強度に応じた炭水化物の摂取量が設定されました。
たんぱく質源も鶏肉一辺倒から、豚肉、牛肉、魚のローテーションに変更し、栄養バランスの偏りを解消しています。
カナダのスーパーで手に入る食材を基にしたレシピ提案も行われ、サーモンのホイル焼きなど実践的なメニューが食卓に加わりました。
毎回のオンラインミーティングでは栄養学の基礎知識も共有され、木原選手自身の栄養リテラシーも向上しています。
炭水化物不足の解消でエネルギー切れを克服した体験談
食事改善による最も大きな変化は、練習中や試合でのエネルギー切れが解消されたことです。
ペア競技は瞬発力、筋力、持久力のすべてが要求される過酷な種目です。
木原選手自身の表現を借りれば、「100mを全力でダッシュして、すぐにベンチプレスをして、また100mをダッシュするような感覚」だと言います。
このような激しい運動では、炭水化物から得られるグリコーゲンが主要なエネルギー源となります。
炭水化物が不足した状態で練習や試合に臨めば、まるで喘息の発作で体力が急激に奪われるような感覚に襲われ、パフォーマンスの維持は困難になるでしょう。
栄養サポート開始前の木原選手は、ボディビルダー向けの食事法を参考にしていたため、脂質やカロリーの制限が過度でした。
適正な炭水化物摂取を始めてからは「エネルギー切れがなくなった感覚がある」と本人が実感を語っています。
この食事改善は、腰椎分離症からの復帰を加速させただけでなく、五輪本番での最高の演技を支える基盤にもなりました。
三浦璃来の体重管理とリフトの安定性を支える栄養戦略
三浦選手にとって体重管理は、パフォーマンスと安全性に直結する重要な課題です。
ペア競技では女性選手がリフトで持ち上げられる側になるため、体重の増減がパートナーへの負担に直接影響します。
三浦選手本人も「体重が増えてもいけないし、減りすぎるとバランスが崩れて龍一くんに負担をかけてしまう」と語っています。
2025年シーズンからは、木原選手をサポートしてきた栄養士チームが三浦選手のサポートも開始しました。
興味深いのは、三浦選手が中京大学で栄養学を履修していたという事実です。
自身の学びと専門家のアドバイスを組み合わせることで、より精度の高い体重管理が実現しています。
木原選手の食事改善に影響を受けて三浦選手の食事内容も変化し、二人で同じバランスの取れたメニューを共有するようになったことも報じられています。
りくりゅうペアの強さは、リンク上の技術だけでなく、日常の食事から徹底的に体力の基盤を築いていることにも支えられているのです。
りくりゅうのメンタルはなぜ崩壊から立ち直れたのか
ミラノ五輪SP5位の絶望から涙の逆転金メダルまでの舞台裏
ミラノ五輪でのりくりゅうの逆転劇は、技術面だけでなくメンタル面での壮絶な闘いの末に生まれたものでした。
ショートプログラムでリフトにミスが出て、首位から6.9点差の5位に沈んだ時点で、木原選手の心は折れかけていました。
「絶望的な感じで、点数差も絶望しか残っていなかった。
僕自身の心はすごく折れてしまっていた」と金メダル後の会見で振り返っています。
翌日のフリー当日、バスを降りた時点で木原選手は涙が止まらない状態でした。
自身でも「もともとメンタル強くない」「いつもごまかしごまかしやってきている部分が、今ごまかせなくなってきている」と語るほどの極限状態です。
そこで木原選手を支えたのが、9歳年下のパートナー三浦選手でした。
三浦選手は木原選手に「まだ終わっていない。
積み重ねてきたものがある」と声をかけ、その言葉が木原選手を立て直すきっかけとなったのです。
フリーでは世界歴代最高の158.13点を叩き出し、合計231.24点で2位に9.49点差をつける圧倒的な逆転劇を演じました。
度重なる怪我の発作的トラブルを糧に変えた精神的成長
りくりゅうペアのメンタルの強さは、一朝一夕に築かれたものではありません。
度重なる怪我やアクシデントを経験し、そのたびに対処法を学んできた積み重ねの結果です。
特に転機となったのは、2024年12月のGPファイナルでの経験でした。
フリーの公式練習で三浦選手が左肩を脱臼し、気持ちが混乱した状態で演技に臨んだ結果、パフォーマンスが大きく崩れています。
この苦い経験があったからこそ、2025年12月の全日本選手権で同様の事態に見舞われた際、二人は冷静に対処できました。
三浦選手は「けがにフォーカスしすぎず切り替えて挑めた。
そこは去年からの大きな成長」と語っています。
怪我の発作的な発生は予測できないものですが、過去の経験から対処の手順を確立していたことが、冷静な判断を可能にしました。
喘息の患者が発作に備えて対処法を習得するように、りくりゅうペアもアクシデントへの備えを日常的に積み重ねていたのです。
三浦璃来の一言で木原龍一が立ち直った信頼関係の正体
ミラノ五輪で木原選手を立て直した三浦選手の言葉の力は、7年間にわたる信頼関係の結晶です。
りくりゅうペアは年間360日を一緒に過ごすと言われており、カナダでの共同生活を通じて深い絆を育んできました。
ペア結成当初、木原選手は三浦選手に「僕を好きにならないでいい」と伝えたとされています。
恋愛感情を排除し、純粋な競技パートナーとしての関係性を築くことで、互いに率直な意見を言い合える信頼関係が生まれました。
海外メディアからは「付き合っているのか」という質問が飛び出すほど息の合った二人ですが、その絆の本質は競技を通じた信頼にあります。
木原選手は自身のメンタルの弱さを自覚しており、三浦選手はその弱さを補完する存在として機能しています。
逆に三浦選手が脱臼で不安に陥った際には、木原選手が冷静にサポートに回る場面も多く見られます。
互いの弱さを知り尽くしているからこそ、危機的状況で最も適切な言葉をかけられるのでしょう。
金メダル獲得後、木原選手の頭を三浦選手がなでるシーンが話題となりましたが、それはまさにこの信頼関係を象徴する光景でした。
ミラノ五輪後のりくりゅう最新情報と今後の展望
フリー世界歴代最高158.13点の衝撃と海外メディアの評価
りくりゅうがミラノ五輪で記録したフリー158.13点、合計231.24点は世界のフィギュアスケート界に衝撃を与えました。
ペア強豪国である中国のファンやメディアからは「試合を見てほしい」と演技の質の高さを称賛する声が多く上がっています。
金メダル会見で中国人記者と交わした温かいやりとりは、「国を超えたリスペクト」「スポーツの力のすばらしさ」として日本国内でも大きな反響を呼びました。
一方で、ロシアの一部メディアからは「過剰な高得点」「新たな大きなスキャンダル」といった批判的な報道も出ています。
ただしロシアはドーピング問題により国際大会から除外されている状況であり、こうした批判の背景には政治的な要素も含まれているとの見方が一般的です。
米国メディアも二人の関係性やパフォーマンスに高い関心を示しており、国際的な注目度は今後さらに高まることが予想されます。
団体戦銀メダル出場時に浮上した三浦の肩への慎重論とは
ミラノ五輪で個人戦に先立って行われた団体戦について、りくりゅうのメンバー入りには一時慎重論が浮上していたことが報じられています。
2025年12月の全日本選手権で三浦選手が左肩を脱臼し、フリーを棄権していたことが理由です。
五輪本番の個人戦を万全の状態で迎えるため、団体戦への出場を見送るべきではないかという議論があったと見られます。
最終的にりくりゅうは団体戦に出場し、ショートプログラムとフリーの両方で1位の演技を披露しました。
日本の団体銀メダル獲得に大きく貢献し、「滑ってよかった」と二人ともに手応えを語っています。
団体戦での好演技が自信となり、個人戦の金メダルにつながる良い流れを作れた面もあるでしょう。
ただし、怪我を抱えた状態での連戦判断は常にリスクを伴うものであり、今後同様の状況が発生した場合の対応方針は注目されるポイントです。
怪我のリスクを抱えながら競技を続ける上での注意点と課題
りくりゅうペアは金メダルを獲得しましたが、今後の競技継続においていくつかの課題が残されています。
最大のリスクは、三浦選手の左肩脱臼の慢性化です。
手術を行わない限り根本的な解決にはならないため、今後も試合や練習で発作的に脱臼が起きるリスクは残り続けます。
木原選手にとっても、腰椎分離症は完治したとはいえ、進行すると分離すべり症に移行するリスクがゼロではありません。
33歳という年齢を考慮すると、体力面での維持はこれまで以上に綿密な管理が求められるでしょう。
加えて、薬やサプリメントに過度に依存しない自然なコンディション管理を続けることの難しさもあります。
食事改善や筋肉強化など、地道な取り組みを継続できるかが長期的な競技力維持の鍵を握ります。
りくりゅうペアの今後については、競技を続けるのか引退するのか、公式な発表はまだありません。
怪我を抱えながらも世界の頂点に立った二人が次にどのような選択をするのか、多くのファンが見守っている状況です。
まとめ:りくりゅうの病気と怪我を乗り越えた軌跡
- りくりゅうペアは脳震盪、関節唇損傷、腰椎分離症、左肩脱臼など数々の怪我を経験してきた
- 木原龍一の内斜視は先天性とされ、脳震盪との因果関係は否定的に見られている
- 斜視の手術をしない理由は、競技への支障がなく見え方の変化によるリスクを避けるためと推測される
- 木原は2018年の脳震盪と関節唇損傷で引退を考えるほど追い詰められていた
- 腰椎分離症はスポーツ選手の30〜40%が発症するフィギュアスケーターの職業病である
- 三浦璃来の左肩脱臼は2022年から繰り返し発生しており反復性脱臼のリスクが高い状態である
- 三浦は手術ではなく肩周辺の筋肉強化で脱臼リスクを低減する方法を選択している
- 木原は腰椎分離症をきっかけに公認スポーツ栄養士の指導で食事を根本的に見直した
- ミラノ五輪ではSP5位の絶望からフリー世界歴代最高158.13点で大逆転の金メダルを獲得した
- 度重なる怪我や発作的なアクシデントへの対処経験が精神的成長につながり逆境を克服する力となった

