女優の矢沢心さんは、夫である元K-1王者の魔裟斗さんとともに、4年間にわたる壮絶な不妊治療を経験されました。
多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)という排卵障害、繰り返される流産の悲しみ、そして転院を経ての奇跡的な出産。
この記事では、矢沢心さんが歩んだ不妊治療の全貌、通院した病院の選び方、夫婦で困難を乗り越えたメンタルケアの方法について詳しく解説します。
現在、不妊治療に取り組んでいる方や、将来に不安を感じている方にとって、彼女の経験は大きな勇気と具体的なヒントを与えてくれるはずです。
矢沢心さんの不妊治療とは?期間や原因の全体像まとめ
矢沢心さんの不妊治療は、20代後半から30代前半にかけて行われました。
まずは彼女が経験した治療の期間、原因、そして最終的な結果について、その全体像を整理します。
不妊治療の期間はどれくらい?20代から始まった4年間の道のり
矢沢心さんが不妊治療を行った期間は、約4年間です。
2007年に25歳で結婚した後、なかなか子供を授からないことから、26歳頃に本格的な不妊治療をスタートさせました。
最初はタイミング法から始め、人工授精、そして体外受精へとステップアップしていきました。
20代という若さでのスタートでしたが、道のりは平坦ではなく、長い闘病生活を経て30歳の時に待望の妊娠判定を受け、2012年、31歳で第1子となる長女を出産しました。
不妊の原因は何だったのか?多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)との闘い
不妊の主な原因は、「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」と診断されたことでした。
これは、卵胞が卵巣の中にたくさんできてしまうものの、十分に育たず排卵しにくくなる疾患です。
矢沢さんは10代の頃から極度の生理不順に悩まされており、生理が数ヶ月来ないことも珍しくありませんでした。
当時は「生理が来なくて楽だ」と考えていたそうですが、結婚後にこれが不妊の大きな壁となることが判明しました。
卵子の質や成長速度にも影響を与え、治療の難易度を高める要因となりました。
最終的な結果は?体外受精での第1子出産と、続く奇跡
4年間の治療の末、矢沢さんは体外受精(顕微授精)によって第1子を妊娠・出産しました。
その後、驚くべきことに第2子と第3子を自然妊娠で授かっています。
高度な不妊治療を経て一人目を出産した女性が、二人目以降を自然妊娠するケースは稀にありますが、矢沢さんもその奇跡を経験されました。
現在は長女、次女、長男の3人の子供を持つ母親として、育児に奮闘されています。
矢沢心さんが通った病院はどこ?3つのクリニック転院歴
矢沢心さんは妊娠に至るまでに、合計で3つの医療機関に通院しました。
それぞれの病院でどのような治療を行い、なぜ転院を決断したのか、その経緯を解説します。
1軒目・2軒目:タイミング法から人工授精、そして転院へ
最初に訪れた1軒目は、自宅近くの一般的な産婦人科でした。
ここでは検査とタイミング法を行い、その後人工授精に4回ほどトライしましたが、妊娠には至りませんでした。
より高度な治療を求めて転院した2軒目は、不妊治療専門のクリニックでした。
ここでは体外受精に挑戦しましたが、採卵時に使用した麻酔が体に合わず、体調を崩すなどの苦労がありました。
また、採卵しても受精卵が育たないことが続き、精神的にも追い詰められていきました。
3軒目の病院選びの決め手は?「実績」と「成功報酬制度」
3軒目の病院へ転院するきっかけとなったのは、夫である魔裟斗さんの提案でした。
魔裟斗さんが知人から紹介されたその病院は、高い妊娠率と豊富な治療実績を誇る有名なクリニックでした。
転院の決め手となったのは、圧倒的な「治療実績」と、結果が出た場合にのみ費用が発生する「成功報酬制度」があったことです。
先が見えない治療の中で、経済的な負担を軽減できるシステムは、精神的な安心材料にもなりました。
通院先は加藤レディースクリニック(KLC)?噂と特徴の一致点
矢沢心さんは具体的な病院名を公表していませんが、語られた特徴から、新宿にある「加藤レディースクリニック(KLC)」ではないかと推測されています。
KLCは日本でも最大規模の不妊治療専門クリニックの一つであり、以下の特徴が矢沢さんのエピソードと一致します。
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身体への負担が少ない「自然周期・低刺激周期」を重視している
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採卵時に原則として麻酔を使用しない(無麻酔採卵)
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独自の成功報酬制度を導入していた時期がある
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最後の砦と呼ばれるほど高い技術力がある
これらはあくまで推測ですが、多くの不妊治療経験者が参考にしている情報の一つです。
医師からの感動的な言葉「あなたをお母さんにしてあげる」
3軒目の病院での初診時、担当医師からかけられた言葉が矢沢さんの心を大きく動かしました。
それは「あなたをお母さんにしてあげる」という力強い一言でした。
それまで「妊娠できるのか」「私の体はダメなのか」と不安に押しつぶされそうになっていた矢沢さんにとって、医師の自信に満ちた言葉は大きな希望となりました。
この信頼関係が、その後の治療を前向きに進める原動力になったといいます。
壮絶な治療内容|繰り返す流産と7回の体外受精
妊娠に至るまでの道のりは決して順調ではなく、心身ともに過酷な試練の連続でした。
ここでは、矢沢さんが経験した具体的な治療内容と、流産の悲しみについて触れます。
2度の流産経験|心拍確認後の悲しみと枯死卵
矢沢さんは、無事に出産するまでに2度の流産を経験されています。
1度目は、妊娠検査薬で陽性が出たものの、胎嚢の中に胎児が確認できない「枯死卵(こしらん)」という状態でした。
2度目は、さらに治療が進み、赤ちゃんの心拍まで確認できた後の流産でした。
いわゆる「9週の壁」を越えられず、天国から突き落とされるような深い悲しみを味わいました。
「自分の行動がいけなかったのではないか」と自分を責め、涙が止まらない日々を過ごしたといいます。
採卵の痛みと麻酔の相性|無麻酔採卵を選択した理由
体外受精に必須となる「採卵」の手術も、矢沢さんにとっては大きなハードルでした。
2軒目の病院では静脈麻酔を使用していましたが、麻酔が体に合わず、処置後にひどい吐き気やめまいに襲われ、帰宅困難になることもありました。
転院した3軒目の病院では、麻酔を使わない「無麻酔採卵」を行いました。
痛みへの不安はありましたが、極細の針を使用するなどの技術により、麻酔による副作用の苦しみからは解放されました。
自分に合う治療方針の病院を見つけることが、身体的負担を減らす鍵となりました。
通算7回の体外受精・顕微授精|出口の見えない不安との戦い
矢沢さんが経験した体外受精と顕微授精の回数は、通算で7回にも及びました。
PCOSの影響で卵子が十分に育たず、採卵そのものがキャンセルになる周期も何度もありました。
受精しても分割が止まってしまったり、着床しなかったりと、失敗を繰り返すたびに「出口のないトンネル」にいるような感覚に陥りました。
それでも諦めずに治療を続けられたのは、強い意志と夫婦の絆があったからです。
不妊治療の費用と経済的な不安
高度不妊治療には多額の費用がかかり、経済的な負担も大きなストレス要因となります。
矢沢さんのケースにおける費用の側面について解説します。
治療費はいくらかかる?終わりのない出費への恐怖
一般的に、体外受精や顕微授精は1回あたり数十万円の費用がかかります(現在は保険適用されていますが、当時は全額自己負担が主流でした)。
矢沢さんのように治療が長期化し、回数を重ねるごとに、総額は数百万円単位に膨れ上がります。
「いつまで続くかわからない」「いくら使えば終わるのかわからない」という経済的な不安は、治療中の精神状態をさらに追い詰める要因となりました。
成功報酬制度のある病院への転院が金銭的・精神的負担を軽減
3軒目の病院で採用されていた「成功報酬制度」は、矢沢さん夫婦にとって大きな救いとなりました。
この制度は、妊娠判定などの結果が出た場合にのみ正規の費用を支払い、結果が出なかった場合は実費程度の負担で済むというものです。
「高いお金を払ってもダメだった」というダメージを減らすことができ、金銭的なリスクを抑えながら回数を重ねることに集中できました。
精神的なプレッシャーを和らげる意味でも、費用体系は病院選びの重要なポイントといえます。
夫・魔裟斗さんの支えとメンタルケアの方法
不妊治療は夫婦二人三脚で行うものですが、矢沢さんを支えた夫・魔裟斗さんの存在は非常に大きなものでした。
流産で泣き崩れる妻へかけた夫の言葉「前に進もう」
2度目の流産が判明し、悲しみに暮れる矢沢さんに対し、魔裟斗さんは冷静かつ前向きに寄り添いました。
泣き崩れる妻の背中をさすりながら、「泣いても赤ちゃんは戻ってこない。また次に向けて体を作ろう。前に進もう」と声をかけたのです。
一見厳しい言葉にも聞こえますが、トップアスリートとして数々の修羅場をくぐり抜けてきた彼なりの、妻を深い絶望から引き上げるための励ましでした。
この言葉のおかげで、矢沢さんは気持ちを切り替え、再び治療に向き合う強さを取り戻せました。
妊活に執着しすぎない?「妊活のため」をやめたことによる変化
治療が長期化する中で、矢沢さんは「全てを妊活のために」という生活をやめる決断をしました。
以前は、食事や生活習慣のすべてを妊娠のために制限し、ストレスを溜め込んでいました。
しかし、あえて友人と飲みに行ったり、好きなことを楽しんだりと、自分の人生を大切にする時間を持ち始めました。
「妊活中心」から「自分中心」へと意識を変えたことで、過度なストレスから解放され、結果的に心身のリラックスに繋がりました。
夫婦の絆|協力的な姿勢と「二人だけの人生」という選択肢
魔裟斗さんは多忙な現役生活の中にありながら、病院への送迎を積極的に行うなど、行動で妻を支えました。
また、二人の間では「もし子供ができなくても、夫婦二人で楽しく生きていこう」という話し合いも持たれていました。
「子供がいなければ幸せになれない」という思い込みを捨て、「二人でも幸せ」という逃げ道を作ったことが、矢沢さんの心の重荷を下ろす結果となりました。
治療後の奇跡|第2子・第3子の自然妊娠について
壮絶な治療の末に長女を出産した後、矢沢さんの体には驚くべき変化が訪れました。
なぜ重度の不妊から自然妊娠できたのか?体質改善と環境の変化
第1子出産後、矢沢さんは第2子と第3子を自然妊娠で授かりました。
あれほど排卵しにくかった体質が改善された理由として、出産によってホルモンバランスが整ったことや、子宮環境が変化したことが考えられます。
また、一度出産したことで「不妊」という強烈なプレッシャーから解放され、精神的にリラックスした状態で生活できていたことも、良い影響を与えた可能性があります。
現在は3人のママに|諦めなかった先にあった未来
現在は3人のお子さんの母親として、賑やかで幸せな日々を送っています。
「不妊治療は出口の見えないトンネル」と表現されることが多いですが、矢沢さんの経験は、その先に光があることを証明しています。
諦めずに自分たちに合う方法を探し続け、夫婦で支え合った結果が、今の未来に繋がっています。
矢沢心さんの経験を詳しく知るための著書・本
矢沢心さんの不妊治療体験は、書籍としても出版されています。
より詳細な心情やエピソードを知りたい方には、以下の本が参考になります。
『夫婦で歩んだ不妊治療 あきらめなかった4年間』の内容
この本は、矢沢心さんと魔裟斗さんの共著として出版されました。
治療中の妻の苦しみだけでなく、それを支える夫が何を考え、どう行動していたのかという「男性側の視点」も描かれているのが特徴です。
夫婦間のコミュニケーションや、男性がどのように治療に関わるべきかを知るための良書です。
『ベビ待ちゴコロの支え方』に学ぶメンタルの保ち方
こちらは矢沢心さんの単著で、主に治療中のメンタルケアに焦点を当てたエッセイです。
嫉妬や焦り、自己嫌悪など、不妊治療中に誰もが抱くネガティブな感情とどう向き合うかについて、自身の経験をもとに優しく語られています。
心が折れそうになった時、そっと寄り添ってくれる一冊です。
まとめ:矢沢心 不妊治療の完全ガイド
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治療期間は約4年間で、20代からタイミング法、人工授精、体外受精へと進んだ
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不妊の主な原因は「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」による排卵障害だった
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通算3つの病院に通い、自分に合う治療方針や医師との出会いを求めた
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転院の決め手は「高い治療実績」と「成功報酬制度」の有無だった
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3軒目の病院は特徴から「加藤レディースクリニック(KLC)」と推測される
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2度の流産と7回の体外受精・顕微授精という過酷な経験をした
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夫・魔裟斗さんの「前に進もう」という言葉と行動が精神的な支えとなった
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「子供がいない人生も幸せ」と割り切ったことで心が軽くなった
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第1子は体外受精で授かったが、その後第2子・第3子は奇跡的に自然妊娠した
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著書を通じて、夫婦の絆やメンタルケアの大切さを発信している

