長期間にわたる不妊治療を乗り越え、待望の第1子を授かった矢沢心さん。
多くのファンが感動したそのニュースのあと、「2人目はどうだったの?」「また辛い治療をしたの?」と気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は、矢沢心さんの2人目妊娠は、ご本人も予想していなかった「自然妊娠」という奇跡的な形でした。
しかし、その出産までの道のりは決して平坦ではなく、前置胎盤による長期入院や緊急帝王切開など、命がけのトラブルの連続だったのです。
この記事では、矢沢心さんの2人目妊娠から出産までのリアルな体験談や、当時の年齢、家族の絆について詳しく解説します。
同じように2人目の妊娠を考えている方や、現在妊娠中のトラブルに不安を感じている方にとって、勇気と希望を感じられる内容となっています。
矢沢心の2人目はまさかの「自然妊娠」!不妊治療は再開していたのか?
結論から申し上げますと、矢沢心さんの2人目は完全な「自然妊娠」でした。
第1子の時には4年間に及ぶ不妊治療を行い、体外受精や顕微授精を経てようやく授かった経緯があったため、このニュースは多くの驚きをもって迎えられました。
ここでは、不妊治療再開の有無や、妊娠発覚時の意外なエピソードについて掘り下げていきます。
4年間の不妊治療を経た1人目とは違う?2人目妊娠発覚の意外な経緯
矢沢心さんは第1子出産後、すぐに2人目の不妊治療を再開していたわけではありませんでした。
長女の育児に追われる日々の中で、体調を崩し肺炎や風邪をこじらせてしまったことが、妊娠発覚のきっかけとなります。
今後の治療のために検査を受けようと病院を訪れた際、念のため行うことになった妊娠検査。
自宅でのセルフチェックキットでは反応が出なかったにもかかわらず、病院での血液検査の結果、医師から「妊娠しています」と告げられたのです。
治療を休んでいる期間に、まさか自然妊娠しているとは夢にも思っていなかったため、まさに青天の霹靂とも言える出来事でした。
多嚢胞性卵巣症候群でも自然妊娠できた理由は?医師が語った「体質変化」
矢沢心さんはもともと「多嚢胞性卵巣症候群」という排卵しにくい体質を持っており、これが第1子の時の不妊原因の一つでもありました。
そのため、ご自身も「妊娠しにくい体質である」と強く認識していたようです。
しかし、長女を妊娠中に担当医から「あなたはもともと妊娠しやすいタイプですよ」と言われたことがあったそうです。
その時は「あんなに苦労したのに嘘だ」と反論したそうですが、結果的にその言葉は現実のものとなりました。
矢沢さんは、長女がお腹に来てくれたことで、体の中の悪いものを流し、妊娠しやすい体質に変えてくれたのではないかと語っています。
出産を通じてホルモンバランスや子宮環境が変化し、妊娠力が向上するケースは医学的にも稀に見られる現象です。
妊娠判明時の夫婦の反応は?「嘘でしょ」から「笑い」に変わった瞬間
予期せぬ自然妊娠が判明した直後、矢沢心さんは驚きのあまり、涙ではなく笑いがこみ上げてきたといいます。
第1子の不妊治療中は、病院からの帰り道に泣きながら歩いていたこともありましたが、この時ばかりは声を出して笑いながら帰路についたそうです。
夫である魔裟斗さんに電話で報告した際も、魔裟斗さんは「えーっ?」と驚愕し、その後すぐに笑い合ったというエピソードがあります。
「2人目が欲しい」と願うことさえ恐れ多いと感じていた夫婦にとって、自然妊娠は言葉にならないほどの奇跡であり、喜びよりも先に驚きと笑いが訪れるほどの衝撃的な出来事でした。
妊娠中の予期せぬトラブル「辺縁前置胎盤」による出血と長期入院
自然妊娠という喜ばしいスタートでしたが、妊娠経過は順調とは言えませんでした。
安定期に入った頃、矢沢心さんは「辺縁前置胎盤」という診断を受けます。
これは胎盤が正常よりも低い位置にあり、子宮口の縁にかかっている状態を指します。
この診断が、その後の妊娠生活を一変させることになりました。
妊娠8ヶ月で即入院宣告!前置胎盤と診断された際のリスクとは
妊娠6ヶ月頃から出血が見られ、自宅安静を続けていた矢沢さんですが、妊娠8ヶ月に入った頃、事態は深刻化します。
出血が繰り返されるため、セカンドオピニオンとして大学病院を受診したところ、その場で「即入院」を宣告されました。
医師からは「命の選択になる」「このままでは胎盤が剥がれて大出血を起こし、母子ともに危険な状態になる」と、非常に厳しい現実を突きつけられたのです。
辺縁前置胎盤は、お腹の張りが出血に直結しやすく、大量出血を引き起こすリスクが高い状態です。
幼い長女を家に残しての入院に躊躇していた矢沢さんでしたが、医師の強い言葉により、覚悟を決めて入院生活に入ることになりました。
2歳の長女と離れ離れの入院生活!魔裟斗や家族の献身的なサポート
突然の入院により、当時まだ2歳だった長女と離れて暮らすことになりました。
これは矢沢さんにとって、身体的な辛さ以上に精神的に苦しい経験だったようです。
しかし、この緊急事態に夫の魔裟斗さんをはじめ、家族全員が結束してサポートにあたりました。
魔裟斗さんは仕事の合間を縫って長女を公園に連れて行き、寂しい思いをさせないよう全力でケアを行いました。
また、義母や実家の家族も総出で長女の面倒を見ることで、矢沢さんが治療に専念できる環境を整えたのです。
安静生活での葛藤と「上の子の宿命」を感じたエピソード
入院中、矢沢さんは電話越しに長女の声を聞くたびに胸を締め付けられる思いをしていました。
しかし、長女は母親を心配させまいとしてか、「寂しい」「悲しい」といった言葉を一切言わなかったそうです。
病院にお見舞いに来た際も、明るく振る舞い、帰り際も笑顔でバイバイをする長女。
その健気な姿を見て、矢沢さんは「上の子の宿命」を感じると同時に、自分自身も母親として強くならなければならないと痛感しました。
安静にしていなければならないもどかしさと、子供への申し訳なさ、そして無事に赤ちゃんを産まなければならないというプレッシャーの中で、家族の絆をより一層深めていった期間でした。
2人目の出産は緊急帝王切開だった?分娩の経緯と産後の痛み
妊娠9ヶ月に入ったある日、事態は急変します。
管理入院中ではありましたが、予断を許さない状況の中で、ついにその時が訪れました。
第1子の時は自然分娩でしたが、2人目は緊急性の高い帝王切開での出産となりました。
妊娠9ヶ月での大量出血と準緊急帝王切開への切り替え
入院中の夜中、矢沢さんは生理痛のような腹痛を感じてトイレに行きました。
そこで目にしたのは、8cmほどもある大きな血の塊でした。
鮮血も混じり、お腹も硬くなっているという危険な兆候に、すぐにナースコールを押しました。
駆けつけた医療スタッフの判断により、そのまま「準緊急帝王切開」が行われることになります。
通常、帝王切開には家族の同意が必要ですが、魔裟斗さんはちょうど地方の仕事から戻ってくるタイミングでした。
ギリギリで病院に到着し、手術に立ち会うことができたのは、不幸中の幸いと言えるでしょう。
予定より1ヶ月早産でも2640g!母子ともに無事だった出産報告
緊急手術の結果、予定日より約1ヶ月早い早産となりましたが、生まれた赤ちゃんは2640gと十分な大きさがありました。
早産児は低体重になることも多い中で、しっかりとした体重で生まれてきてくれたことは、矢沢さんにとっても大きな安心材料でした。
母子ともに健康であることが確認され、魔裟斗さんもブログやメディアを通じて無事の報告を行いました。
前置胎盤による大量出血のリスクを抱えながらの出産でしたが、適切な医療介入とタイミングの良さが重なり、最善の結果を迎えることができたのです。
自然分娩(1人目)より辛かった?帝王切開の術後と痛みのリアル
第1子を自然分娩で産んでいる矢沢さんですが、産後の痛みに関しては「帝王切開の方が辛かった」と語っています。
手術直後は麻酔が効いていますが、麻酔が切れた後の激痛は想像を絶するものだったようです。
痛み止めを飲んでも治まらない痛みの中で、術後翌日には歩行訓練が始まります。
点滴スタンドにすがりつくようにして歩き、傷の痛みに耐えながら授乳やオムツ替えを行う日々。
「お腹を切ったのに、次の日から育児が始まる」という帝王切開ならではの過酷さを身をもって体験し、改めて世の中の母親たちの強さを実感したそうです。
矢沢心は2人目を何歳で出産した?年齢や子供の年齢差まとめ
矢沢心さんの2人目出産について、具体的な時期や年齢についても整理しておきましょう。
不妊治療を開始したのが20代後半だったため、2人目出産時の年齢が気になる方も多いはずです。
2人目出産時の矢沢心の年齢は33歳!1人目・3人目との年齢比較
矢沢心さんが第2子となる女児を出産したのは、2014年9月27日です。
生年月日は1981年3月16日ですので、出産当時は33歳でした。
お子さんごとの出産年齢を比較すると以下のようになります。
30代前半で2人の子供を出産し、その後30代後半で3人目を出産されています。
長女とは2歳差育児!年子に近い育児の忙しさと隙間時間の活用法
第1子と第2子の年齢差は2歳差(学年では3学年差)です。
2歳という年齢は、イヤイヤ期が重なったり、まだ手がかかる時期であるため、育児の負担は非常に大きくなります。
矢沢さんも、夕方の時間帯は「戦い」だと表現しており、お風呂から食事、寝かしつけまでの怒涛のスケジュールをこなしていました。
自分の美容にかける時間はほとんどなくなり、ネイルサロンにも行けない日々が続きましたが、その分「内側からのケア」に意識を切り替えたそうです。
食事の質にこだわり、家族みんなで健康的なものを食べることで、肌荒れを防ぎ体調管理を行っていました。
自分の時間が持てないことを嘆くのではなく、子供と一緒にいられる「今」を大切にするポジティブな姿勢が印象的です。
その後の矢沢心ファミリー!3人目の妊娠・出産はどうだった?
第2子の劇的な出産を経て、矢沢心さん一家にはさらなる喜びが訪れます。
最後に、その後の第3子妊娠について触れておきましょう。
2人目に続き3人目も自然妊娠!待望の男の子誕生と魔裟斗の反応
第2子出産から約4年後、矢沢さんは第3子を妊娠します。
驚くことに、3人目も不妊治療を行うことなく「自然妊娠」で授かりました。
そして、第3子は待望の男の子でした。
女の子2人のパパだった魔裟斗さんは、男の子だと分かった瞬間に大喜びしたそうです。
格闘家としてのDNAを受け継ぐかもしれない男の子の誕生は、家族にとって新たな刺激と喜びをもたらしました。
不妊治療の経験者が語る「2人目の壁」と自然妊娠の奇跡について
矢沢心さんのケースは、重度の不妊治療を経験しても、その後の体質変化や環境の変化によって自然妊娠が可能であることを示す希望の事例です。
「2人目の壁」という言葉があるように、1人目が不妊治療だった場合、2人目も治療が必要なのかと悩む夫婦は少なくありません。
しかし、矢沢さんのように「1人目が体を変えてくれた」と前向きに捉え、自然な流れで新しい命を授かることもあります。
もちろん個人差はありますが、矢沢さんのエピソードは、妊活や不妊治療に向き合う多くの人々に「奇跡は起こりうる」という勇気を与えてくれています。
まとめ:矢沢心 2人目
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矢沢心の2人目は、治療再開前まさかの自然妊娠だった
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妊娠発覚時はセルフチェック陰性だったが、病院の検査で陽性と判明した
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多嚢胞性卵巣症候群だったが、長女出産による体質変化が影響した可能性がある
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妊娠判明時、夫婦ともに驚きのあまり笑ってしまった
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妊娠中「辺縁前置胎盤」と診断され、大量出血のリスクを抱えていた
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妊娠8ヶ月で即入院となり、2歳の長女と離れる辛い経験をした
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妊娠9ヶ月で大量出血し、準緊急帝王切開にて出産した
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出産時の年齢は33歳で、子供は長女と2歳差である
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1人目は自然分娩だったため、2人目の帝王切開の術後の痛みが特に辛かった
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その後、3人目も自然妊娠で授かり、男の子を出産している

