2003年、日本の音楽シーンに彗星のごとく現れ、社会現象を巻き起こした中国の女性音楽グループ「女子十二楽坊」。
中国の伝統楽器を現代風にアレンジした楽曲『自由』や『奇跡』は、テレビや街中で流れない日はないほどの大ヒットとなりました。
しかし、いつしかメディアで見かける機会が減り、「女子十二楽坊はなぜ消えたのか?」「現在は解散しているのか?」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。
実は、彼女たちが日本での露出を減らした背景には、単純な人気低下だけではない、ビジネス上のトラブルや体制の変化といった複合的な事情がありました。
この記事では、女子十二楽坊が日本から姿を消した本当の理由と、現在の驚くべき活動状況、そして初期メンバーのその後について詳しく解説します。
かつてのブームを知る方も、名前だけ聞いたことがある方も、彼女たちの知られざる真実を知ることで、改めてその音楽の魅力に気づくことができるはずです。
女子十二楽坊が日本から消えた本当の理由とは?4つの原因を解説
日本のマネジメント会社が宣伝費をかけすぎて倒産したため
女子十二楽坊が日本での活動を縮小せざるを得なくなった最大の要因は、日本側のマネジメント会社の経営破綻にあります。
デビュー当時、日本でのプロモーションを担当していた会社は、彼女たちを売り出すために莫大な宣伝費を投入しました。
その額は約2億円とも言われており、テレビCMやメディア露出を徹底的に行うことで初期の爆発的なブームを作り出しました。
しかし、CDの売上が好調だったにもかかわらず、過剰な宣伝費の回収が追いつかず、資金繰りが悪化してしまったのです。
結果として、2007年にこの会社は自己破産手続きを開始することとなり、日本での活動拠点を失う形となりました。
これが、順調に見えた活動が突然ストップしたかのように見えた、ビジネス的な裏事情です。
創立者・王暁京氏の病気悪化と死去による体制の変化
グループの生みの親であり、プロデューサーでもあった王暁京(ワン・シャオジン)氏の健康問題も、活動に大きな影を落としました。
王氏は「ビジュアル系民族音楽」という新しいジャンルを確立した立役者であり、グループの方向性を決定づける絶対的な存在でした。
しかし、日本でのマネジメント会社が倒産した頃から彼の病状が悪化し、日本での再起を図るための余裕がなくなってしまったのです。
王氏は2015年に亡くなりましたが、精神的支柱を失ったことによる混乱や体制の立て直しには時間を要しました。
創立者の不在は、海外展開を含むグループの戦略全体に影響を与え、日本での活動再開を難しくさせた要因の一つと言えます。
楽曲が街中で流れすぎたことによる飽きとブームの終焉
音楽的な側面から見ると、あまりにも急速に消費されすぎたことが、「飽き」を早める結果となりました。
全盛期にはテレビ番組のBGM、CM、スーパーの店内放送など、あらゆる場所で『自由』や『奇跡』が流れ続けました。
独特な音色とリズムはインパクト抜群でしたが、過度な露出は「どこに行っても聞こえてくる」という状況を作り出し、新鮮さを奪ってしまったのです。
「癒やしの音楽」として受け入れられた一方で、あまりに耳にする機会が増えすぎたため、一種の食傷気味な空気が世間に広がりました。
一過性の強烈なブームとして消費された反動が、その後の人気維持を難しくさせた側面は否めません。
日中関係の変化や著作権トラブルによるイメージダウン
当時の日中関係の変化や、いくつかのトラブル報道も、日本での活動継続に対する逆風となりました。
2000年代中盤以降、日中関係は政治的な要因などで微妙な変化を見せており、中国発のエンターテインメントに対する一部の拒否反応も少なからず影響しました。
また、コンサート主催者に関する著作権法違反などのトラブルが報じられたこともありました。
これらはメンバー自身の責任ではありませんでしたが、グループのブランドイメージに少なからず傷をつけることになりました。
スポンサー離れやメディア露出の自粛といった形で影響が出始め、徐々に日本の表舞台からフェードアウトしていく結果となったのです。
女子十二楽坊は現在どうしている?解散説の嘘と活動状況
実は中国を拠点に活動継続中!世界ツアーも展開
「消えた」と思われがちですが、女子十二楽坊は解散しておらず、現在も中国を拠点に精力的に活動を続けています。
日本での露出が減った後も、本国中国では「中国民族音楽のシンボル」として確固たる地位を築いていました。
創立者の死後は、初期メンバーであり団長を務めた石娟(シー・ジュエン)さんがリーダー兼マネジメントを担い、グループを守り続けてきました。
活動の場は中国国内にとどまらず、東南アジアやインド、アメリカなどへの世界ツアーも展開し、活動の幅を広げています。
日本で見かけなくなった期間も、彼女たちは世界を舞台に演奏技術を磨き続けていたのです。
2017年に9年ぶりの日本単独公演で「復活」を果たしている
日本のファンにとって大きなニュースとなったのが、2017年に行われた9年ぶりの日本単独公演です。
日中国交正常化45周年という節目の年に、東京や千葉でコンサートを開催し、日本のステージに帰ってきました。
団長の石娟さんは当時、「日本に戻ってくることを待ち望んでいた」と語り、往年のヒット曲を披露しました。
かつてのブームを知らない若い世代や、長年待ちわびたファンに向けて、健在ぶりをアピールする感動的な公演となりました。
この事実は、彼女たちが日本市場を完全に諦めたわけではなく、機会があれば日本での活動を望んでいることの証明でもあります。
現在のメンバー構成は?厳しい選抜基準と練習生制度
現在の女子十二楽坊は、結成当初のメンバーとは大きく入れ替わっています。
しかし、その演奏レベルの高さは維持されており、メンバーになるためには「専門性」「人柄」「態度」という厳しい3つの条件をクリアしなければなりません。
メンバーのほとんどは中国の音楽名門大学出身であり、全国大会でグランプリを獲得するほどの実力者揃いです。
また、次世代を育成するための「練習生」制度も導入されており、常に新しい才能を発掘し続けています。
メンバーが変わっても「女子十二楽坊」というブランドと音楽への真摯な姿勢は、しっかりと継承されているのです。
初期メンバーの現在は?脱退後の活動と新ユニット「Alive2」
初期メンバーの多くは入れ替わっている事実
2001年の結成から20年以上が経過しており、私たちがよく知る全盛期の初期メンバーの多くは既にグループを卒業しています。
特に2009年頃に初期メンバーの多くが脱退し、それぞれの道を歩み始めました。
結婚や出産といったライフステージの変化や、個々の音楽的な追求のためにグループを離れる決断をしたメンバーもいます。
しかし、これはネガティブな分裂ではなく、長い歴史を持つ音楽グループとしての自然な新陳代謝と言えるでしょう。
現在活動している女子十二楽坊は、その魂を受け継いだ新しい世代の演奏家たちによって構成されています。
元主力メンバー3人による新ユニット「Alive2」とビリー・バンバンとの共演
グループを卒業したメンバーの中には、日本で新たなユニットを結成し活動した例もあります。
初期の人気メンバーであったジャン・リーチュン(二胡)、マー・ジンジン(揚琴)、ジャン・シュアン(琵琶)の3人は、「Alive2(アライブツー)」というユニットを結成しました。
2010年にはアルバムをリリースし、日本の兄弟デュオ「ビリー・バンバン」と共演するなど話題を集めました。
特にビリー・バンバンの名曲『また君に恋してる』をカバーし、インストゥルメンタルと歌のコラボレーションを披露したことは、往年のファンを喜ばせました。
このように、形を変えて日本の音楽シーンと関わり続けてくれたメンバーもいたのです。
二胡奏者・霍暁君(フォ・シャオジュン)など個々の活動
その他のメンバーも、ソリストとして素晴らしいキャリアを築いています。
例えば、初期に二胡を担当していた霍暁君(フォ・シャオジュン)さんは、中国の国家一級演奏家として活躍しています。
北京の主要な民族楽団である「中国歌劇舞劇院」の首席二胡奏者を務めるなど、その実力は中国国内でも高く評価されています。
彼女は日本でのコンサートやイベントにも出演しており、二胡の魅力を伝える活動を継続しています。
「女子十二楽坊」という枠組みを離れても、彼女たちの音楽家としての人生は続いており、それぞれの場所で輝きを放っているのです。
そもそも女子十二楽坊とは?全盛期の凄さと「12人ではない」真実
2003年の日本デビューアルバムが200万枚のミリオンヒット
女子十二楽坊の日本での実績を振り返ると、その数字は今の音楽業界では考えられないほど驚異的です。
2003年7月に発売されたデビューアルバム『女子十二楽坊 ~Beautiful Energy~』は、発売からわずか2ヶ月でミリオンセラーを達成しました。
最終的には約200万枚という記録的なセールスを叩き出し、インストゥルメンタルアルバムとしては異例の大ヒットとなりました。
当時、SMAPの『世界に一つだけの花』が大流行していましたが、アルバムチャートではそれに匹敵するほどの勢いを見せていたのです。
CDが飛ぶように売れていた時代の象徴的な出来事の一つとして、今も語り継がれています。
紅白歌合戦出場と武道館公演!「自由」「奇跡」などの代表曲
デビュー1年目にして『NHK紅白歌合戦』への出場を果たしたことも、彼女たちの人気を決定づけました。
オペラ歌手の錦織健さんと共演し、華やかなステージで演奏を披露した姿は多くの視聴者の記憶に残っています。
さらに、日本武道館での単独公演も成功させ、全国ツアーでは各地のホールを満員にしました。
代表曲である『自由』の疾走感あふれるリズムや、『奇跡』のドラマチックなメロディは、言葉の壁を超えて多くの日本人の心を掴みました。
立ち上がって演奏するアクティブなパフォーマンススタイルも、従来の民族音楽のイメージを覆す斬新なものでした。
グループ名は「12人」でもメンバーは「13人」いた理由
「女子十二楽坊」という名前から、メンバーは12人だと思っている方が多いですが、実は初期メンバーは13人いました。
コンサートなどでは基本的に12人で演奏していましたが、実は予備のメンバーや交代要員を含めた構成だったのです。
また、「十二」という数字は、単なる人数ではなく中国における「縁起の良い数字」を意味しています。
中国の古典小説『紅楼夢』に登場する12人の美女や、干支や星座の数などに由来して名付けられました。
「楽坊」は唐の時代の音楽機関「教坊」にちなんでおり、伝統と格式を重んじる意味が込められていたのです。
使用している中国伝統楽器(二胡・琵琶・揚琴など)の解説
彼女たちが演奏に使用している楽器は、中国の歴史ある伝統楽器ばかりです。
最も有名な「二胡(にこ)」は、2本の弦の間を弓で擦って音を出す楽器で、人間の声に近い哀愁ある音色が特徴です。
「琵琶(びわ)」は、日本の琵琶とは異なり、ギターのように立てて持ち、指につけた爪で激しくかき鳴らす奏法が印象的です。
「揚琴(ようきん)」は、台形の箱に張られた多数の弦を竹のバチで叩く打楽器的な弦楽器で、ピアノの祖先とも言われています。
その他にも、横笛の「笛子(ディーズ)」や、琴に似た「古箏(こそう)」など、多彩な楽器が重なり合うことで、あの独特なアンサンブルが生まれています。
女子十二楽坊の再ブレイクはある?今後の日本活動の可能性
SNS時代の今こそ再評価される「癒やしの音楽」と演奏技術
近年、YouTubeやTikTokなどのSNSを通じて、過去の名曲がリバイバルヒットする現象が増えています。
女子十二楽坊の持つ「癒やしの音楽」としての側面や、超絶技巧の演奏パフォーマンスは、現代のショート動画文化とも相性が良いと言えます。
言葉を必要としないインストゥルメンタル音楽は、国境を超えて直感的に楽しめるコンテンツです。
実際に中国では、伝統文化を見直す動き(国潮)の中で、彼女たちのスタイルが再評価されています。
日本でも、ストレス社会における癒やしを求める層や、純粋に高い演奏技術を楽しみたい層に向けて、再び注目が集まる可能性は十分にあります。
まとめ:女子十二楽坊 なぜ消えた
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日本から消えた主な理由は、マネジメント会社の倒産による活動拠点の喪失である
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創立者の病気や死去により、グループの運営体制に混乱が生じたことも影響した
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短期間での過剰な露出により、世間が飽きてしまったこともブーム終焉の一因である
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女子十二楽坊は解散しておらず、現在も中国を拠点に世界で活動している
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2017年には日本で9年ぶりの単独公演を行い、健在ぶりをアピールした
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現在のメンバーは入れ替わっているが、音楽大学出身の実力者が選抜されている
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初期メンバーの多くは脱退し、新ユニット「Alive2」やソロ活動を行っている
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デビューアルバムは200万枚売れ、紅白出場も果たした伝説的なグループである
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グループ名の「十二」は縁起の良い数字であり、実際は13人で構成されることもあった
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SNS時代において、言葉の壁がない彼女たちの高い演奏技術は再評価の余地がある

