一般家庭から歌舞伎の世界へ飛び込み、その才能と愛らしさで多くのファンを魅了している中村莟玉(なかむら かんぎょく)。
「中村莟玉の家系図はどうなっているの?」
「実の両親や養子になった経緯を知りたい」
このように、彼の出自や高砂屋との関係について気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、中村莟玉の家系図や実の両親の職業、師匠である中村梅玉との養子縁組の物語について詳しく解説します。
かわいらしいルックスの裏にある、歌舞伎への熱い想いと運命的なストーリーを紐解いていきましょう。
中村莟玉の家系図を解説!一般家庭から高砂屋への養子入り
中村莟玉は、歌舞伎の家に生まれた御曹司ではなく、一般家庭から歌舞伎界に入った稀有な存在です。
ここでは、彼が現在所属している「高砂屋」の家系図と、そこに至るまでの関係性について解説します。
【図解】高砂屋・中村梅玉との親子関係と家系図
中村莟玉の現在の家系図における位置づけは、四代目中村梅玉の養子です。
高砂屋の家系図を整理すると、以下のようになります。
このように、中村莟玉は現代歌舞伎の重鎮である中村梅玉の息子として、高砂屋の芸を継承する立場にあります。
もともとは師弟関係でしたが、長年の修行と信頼関係を経て、親子としての絆が結ばれました。
偉大な祖父「女帝」六代目中村歌右衛門との繋がり
中村莟玉が継いだ「莟玉(かんぎょく)」という名前には、偉大な養祖父への敬意が込められています。
「莟(つぼみ)」の字は、養祖父である六代目中村歌右衛門が若い頃に主催していた自主公演「莟会(つぼみかい)」から取られたものです。
六代目歌右衛門は「女帝」と称されるほど絶大な力と人気を誇った昭和の名女形であり、その芸と精神は養父である梅玉を通じて莟玉へと受け継がれています。
莟玉という名には、「まだ開かない花の芽だが、将来は大輪の花を咲かせてほしい」という願いとともに、高砂屋の伝統を担う者としての期待が込められているのです。
歌舞伎の家柄ではない一般家庭出身という出自
中村莟玉は、歌舞伎役者の家系ではなく、東京都内の一般家庭に生まれました。
歌舞伎界は世襲が一般的であるため、彼のように外部から入って幹部俳優の養子となり、名跡を襲名することは非常に珍しいケースです。
幼い頃から歌舞伎に魅了され、自らの意志と情熱で道を切り拓いてきた彼の経歴は、多くの人々に夢と勇気を与えています。
血縁関係のない世界で実力を認められ、由緒ある家系図に名を連ねるに至った背景には、並々ならぬ努力と周囲の人々との幸運な出会いがありました。
中村莟玉の実の両親はどんな人?
一般家庭出身の中村莟玉ですが、彼を育てた実のご両親はどのような方々なのでしょうか。
ここでは、実の両親の職業や、彼が歌舞伎を志すきっかけとなった幼少期のエピソードを紹介します。
実父と実母の職業は出版・編集関係
中村莟玉の実の両親は、共に出版社で編集関係の仕事に就いている一般の方です。
文芸担当として働いていたこともあり、家庭内には文化的な土壌があったことがうかがえます。
彼自身も大学で近世文学を専攻するなど、言葉や物語に対する感性が鋭いのは、ご両親の影響もあるのかもしれません。
歌舞伎という伝統芸能とは直接の関わりがない職業でしたが、息子の「好き」を尊重し、応援してくれる温かい家庭環境で育ちました。
母親の影響で歌舞伎好きに育った幼少期のエピソード
中村莟玉が歌舞伎を好きになったきっかけは、母親の影響でした。
母親が歌舞伎好きで、家でよく歌舞伎のテレビ番組を見ていたため、彼も自然と一緒に見るようになったそうです。
初めて歌舞伎座に連れて行ってもらったのは2歳のときでした。
当時の彼はまだ言葉も十分に話せない年齢でしたが、劇場の雰囲気や舞台の華やかさに心を奪われ、母親以上に歌舞伎に夢中になっていきました。
特に十一代目市川團十郎(当時は海老蔵などを名乗っていた時期も含め)の映像などを繰り返し見て、セリフや動きを覚えるほどだったといいます。
日本舞踊の師匠に見出された「運命の出会い」
彼が歌舞伎役者への道を歩み始める決定的なきっかけは、小学1年生のときに訪れました。
新橋演舞場で「東をどり」を観劇した際、幕間のロビーで大好きな演目「切られ与三郎」の真似をして遊んでいたところ、ある女性に声をかけられます。
「坊や、お芝居好きなの? 与三郎はこうするのよ」
声をかけてくれたのは、日本舞踊家の花柳福邑(はなやぎ ふくむら)師匠でした。
この出会いが縁となり、彼は日本舞踊の稽古を始めることになります。
さらに、その師匠が歌舞伎座の支配人と知り合いだったことから、現在に続く道が拓かれていきました。
中村莟玉が養子になった経緯と「梅丸」からの改名理由
部屋子として入門してから約15年、中村莟玉は大きな転機を迎えます。
ここでは、彼が「中村梅丸」から「中村莟玉」へと改名し、師匠の養子となった経緯について詳しく解説します。
部屋子「中村梅丸」から養子「中村莟玉」へ
中村莟玉は、7歳のときに師匠である中村梅玉に入門し、2006年に「部屋子」として「中村梅丸(うめまる)」を名乗りました。
部屋子とは、幹部俳優の楽屋預かりとなり、鏡台を並べて直接指導を受ける特別な弟子のことです。
「梅丸」という名前で長年親しまれ、その愛らしい容姿から「まるる」「まるちゃん」の愛称でアイドル的な人気を博しました。
そして2019年、師匠の養子となると同時に「初代 中村莟玉」を襲名します。
これは単なる改名ではなく、師匠の芸と心を正式に継承する後継者として認められたことを意味する大きな出来事でした。
師匠・中村梅玉が養子に迎えた理由と親心
師匠の中村梅玉が彼を養子に迎えた背景には、深い愛情と親心がありました。
当初、7歳で入門してきた彼に対して、梅玉は「1年もすれば飽きてしまうのではないか」と思っていたそうです。
しかし、彼は毎週土日や学校が休みの日は必ず楽屋に通い、黒衣(くろご)を着て手伝いをするなど、ひたむきに歌舞伎と向き合い続けました。
その真摯な姿勢と成長を見守り続けた梅玉は、彼を一人前の役者にするために養子として迎えることを決意します。
「やっとこれでプロの役者としてスタートラインに立ったばかり。私ともども精進を重ねて、一人前の役者に育てたい」
会見で語られたこの言葉には、師匠としての厳しさと、親としての温かい期待が込められていました。
戸籍上の養子?芸養子?その関係性を解説
「養子」といっても、実際にはどのような形をとっているのでしょうか。
2019年の襲名披露の際、メディアの取材に対して「籍は入れないものの、梅丸を養子として迎える」という趣旨の説明がなされています。
つまり、戸籍上の親子関係を結ぶ法的な養子縁組ではなく、芸道における親子関係を結ぶ「芸養子(げいようし)」としての意味合いが強いようです。
しかし、歌舞伎界において芸養子は実の親子と同等の絆で結ばれます。
実の両親との関係を大切にしつつ、高砂屋の芸を継ぐ者として梅玉を「パパさん」と呼ぶなど、その関係性は血の繋がりを超えた深い信頼で結ばれています。
中村莟玉の大学はどこ?学歴とプロフィール詳細
若手歌舞伎俳優として活躍する一方で、彼は大学を卒業したインテリジェンスな一面も持っています。
ここでは、中村莟玉の学歴や身体的特徴など、プロフィールを深掘りします。
出身大学は文学部で近世文学を専攻し2019年に卒業
中村莟玉は、高校卒業後に4年制大学へ進学しています。
具体的な大学名は公表されていませんが、文学部に所属し、近世文学を専攻していたことが明らかになっています。
大学時代には、江戸時代の大衆向け娯楽読本である「黄表紙」や「合巻」などを学んでおり、この知識が後の役作りにも活かされています。
2019年に大学を卒業しており、学業と舞台を見事に両立させました。
師匠からは「行けるなら大学に行ってみなさい」と背中を押されたそうで、広い視野を持つ役者としての基盤がこの時期に作られました。
中村莟玉の身長は163cm前後で女形にも適した体格
中村莟玉の身長は、公称で163cm前後(資料により162cm〜163cm)です。
現代の男性としては小柄な部類に入りますが、歌舞伎の女形としては理想的な体格と言えます。
この身長のおかげで、可憐な姫君や町娘などの役柄が非常に似合い、舞台上で美しいシルエットを描くことができます。
一方で、本人は師匠が得意とする「若衆(わかしゅ)」などの立役(男役)にも意欲を見せており、小柄ながらも凛とした演技で幅広い役柄に挑戦しています。
本名「森正琢磨」から「莟玉」への歩み
中村莟玉の本名は、森正 琢磨(もりまさ たくま)です。
2005年、国立劇場での「御ひいき勧進帳」にて、本名の森正琢磨として初舞台を踏みました。
その後、前述の通り「中村梅丸」となり、さらに「中村莟玉」へと名前を変えていきました。
一般の少年「琢磨くん」が、歌舞伎の世界に魅了され、やがて伝統ある名跡を継ぐ「莟玉」へと成長していく物語は、まさに事実は小説より奇なりと言えるでしょう。
「かわいい」と話題の中村莟玉の魅力とパンダ愛
中村莟玉の魅力は、舞台上の演技だけにとどまりません。
その愛らしいキャラクターや意外な趣味も、多くのファンを惹きつける要因となっています。
愛称「まるる」で親しまれるかわいらしいルックスと演技
中村莟玉は、そのくりっとした大きな目と柔和な笑顔から、「かわいい」と評判です。
「梅丸」時代の愛称である「まるる」や「まるちゃん」は、改名後もファンの間で親しまれ続けています。
女形としての評価も高く、可憐で品のある演技は「奇跡の女形」と称されることもあります。
しかし本人は「性格的には女形向きではない」と語るなど、サバサバとした一面もあり、そのギャップもまた魅力の一つです。
ガチすぎるパンダ愛と「ミステリーハンター」としての活躍
中村莟玉を語る上で外せないのが、熱狂的な「パンダ愛」です。
上野動物園のシャンシャンを見たことをきっかけにパンダにハマり、その愛の深さは自身でグッズを集めるだけでなく、仕事にも繋がるほどです。
テレビ番組「世界ふしぎ発見!」ではミステリーハンターとして登場し、日本のパンダ全頭に会いに行く旅をレポートしました。
ラジオ番組やSNSでも度々パンダへの愛を語っており、歌舞伎ファン以外からも「パンダ好きの歌舞伎役者」として認知され始めています。
新作歌舞伎や大河ドラマ「べらぼう」への出演情報
伝統的な古典歌舞伎だけでなく、新しいジャンルへも積極的に挑戦しています。
人気ゲームを原作とした新作歌舞伎「刀剣乱舞」では、髭切(ひげきり)役などを務め、2.5次元ファンからも高い評価を得ました。
また、2025年放送のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」への出演も決定しており、西村屋万次郎役を演じます。
映像作品への出演を通じて、彼の知名度と活躍の場はさらに広がっていくことでしょう。
まとめ:中村莟玉は伝統と革新を担う次世代の歌舞伎役者
中村莟玉は、一般家庭からその才能と情熱で歌舞伎界の階段を駆け上がってきた、注目の若手俳優です。
-
一般家庭に生まれ、2歳で歌舞伎に魅了される
-
日本舞踊の師匠に見出され、7歳で中村梅玉に入門
-
部屋子「中村梅丸」として活躍し、人気を博す
-
2019年に中村梅玉の養子となり「初代 中村莟玉」を襲名
-
家系図上は四代目中村梅玉の養子、六代目中村歌右衛門の養孫
-
実の両親は出版関係の仕事に従事し、息子の夢を応援
-
大学では近世文学を専攻し、学業と舞台を両立
-
身長約163cmの小柄な体格を活かし、女形から若衆役まで幅広く演じる
-
熱烈なパンダ愛好家としての顔も持ち、メディアでも活躍
-
大河ドラマや新作歌舞伎など、新たなフィールドへ挑戦し続けている
血筋が重視される世界において、実力と人柄で自らの居場所を築き上げた中村莟玉。
高砂屋の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代の歌舞伎を体現する彼の今後の活躍から目が離せません。

