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【豊臣兄弟】柴田勝家の最期は史実と違う?身投げではなく切腹だったのか徹底検証

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』第33回「北庄城の別れ」では、柴田勝家と市が北庄城の天守からともに身を投げるという壮絶な最期が描かれました。

柴田勝家を演じたのは山口馬木也さん、市を演じたのは宮﨑あおいさんです。8月30日の放送後、印象的なラストを見て「柴田勝家の最期は史実でも身投げだったのか」「実際は切腹したのでは?」と気になった人も多いのではないでしょうか。

結論に近いところからいうと、今回確認できる主要な史料では、柴田勝家が天守から身投げしたというより、北ノ庄城で切腹したとする記録が目立ちます。

さらに、お市についても「勝家と一緒に飛び降りた」「夫婦そろって切腹した」という単純な描かれ方ではありません。羽柴秀吉の書状、『柴田退治記』、ルイス・フロイスが伝えた内容を追うと、『豊臣兄弟!』の身投げはドラマならではの表現だったことが見えてきます。

目次

【豊臣兄弟】柴田勝家とお市の最期は北庄城からの身投げとして描かれた

『豊臣兄弟!』第33回では、賤ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家が北庄城で追い詰められ、市とともに最期の時を迎えました。

歴史上の北ノ庄城は現在の福井市にあった勝家の居城で、福井市立郷土歴史博物館も、天正11年(1583年)に勝家がお市とともに天守で最期を遂げたと紹介しています。天守は「九重」とも伝えられる大規模な建物でした。

『豊臣兄弟!』第33回では柴田勝家と市が天守から身投げ

ドラマで特に強烈だったのが、勝家と市が最後まで一緒に戦い、天守からともに身を投げる場面です。

共同通信の山口馬木也さんへのインタビューでも、第33回の最期について、市と勝家が天守から身を投げる展開だったことが紹介されています。

身投げという映像表現は非常に印象的ですが、史料に残された勝家の死に方とはかなり違います。

山口馬木也が演じた柴田勝家は市と最後まで手を離さなかった

最期の立ち回りでは、当初は勝家が市を安全な場所へ置き、一人で戦う予定だったそうです。

ところが演出側の提案から、勝家と市が手をつないだまま戦う形に変更されました。山口馬木也さんは、勝家が市を守っている一方で、自分も市に守られているような感覚があったと振り返っています。

こうした演出を踏まえると、第33回の「二人で身を投げる」という最期も、勝家と市が最後まで離れない関係を強く印象づける場面だったと受け取れます。

柴田勝家の最期は史実では切腹?羽柴秀吉の書状に残る記録

柴田勝家の本当の最期を考えるうえで注目したいのが、北ノ庄城落城後に羽柴秀吉が送った書状です。

天正11年(1583年)5月15日付で小早川隆景に宛てた秀吉の書状には、勝家が北ノ庄城でどのような最期を迎えたのかが記されています。

羽柴秀吉の書状では柴田勝家は「腹を切る」と宣言

秀吉の書状によると、勝家は約200人とともに北ノ庄城へ籠城していました。

羽柴軍に攻め込まれると、勝家は何度も反撃したものの、最後は九重の天守の最上部へ上がったとされています。

そして敵方の武士たちに、自分が腹を切る姿を後世のために見ておくよう呼びかけたという内容が残っています。その後、妻子や一族に手をかけ、残った者たちも切腹して果てたという流れです。

少なくとも、この書状に「勝家がお市と手を取り合って天守から飛び降りた」という展開は出てきません。

柴田勝家の「身投げ」より「切腹」を伝える史料が複数ある

秀吉自身が勝家との戦いに勝利した側であるため、書状の内容すべてをそのまま映像記録のように受け取れるわけではありません。

一方で、勝家が切腹したという内容は秀吉の書状だけに現れるものではありません。

後述する『柴田退治記』やルイス・フロイスによる記録でも、勝家が自ら腹を切ったという筋書きが確認できます。複数の記録を比べても、『豊臣兄弟!』で描かれた「身投げ」より「切腹」の方が史料に残る最期に近いといえそうです。

『柴田退治記』が伝える柴田勝家の切腹とお市の最期

柴田勝家の最期を詳しく伝える史料として知られているのが、大村由己による『柴田退治記』です。

『柴田退治記』は『柴田合戦記』とも呼ばれ、天正11年(1583年)に成立した合戦記です。豊臣方の立場から勝家と秀吉の争いを描いた史料であることも押さえておきたいところです。

『柴田退治記』では柴田勝家が「腹の切り様を見よ」

『柴田退治記』では、勝家が北ノ庄城の天守九重目へ上がり、これから自分が切腹するので敵方の武士も見届け、自分の名を伝えるよう呼びかけた場面が記されています。

その後の描写はかなり壮絶です。

勝家は最後まで残った女性たちに手をかけた後、自ら刀を使って腹を切り、家臣に介錯を求めたとされています。勝家の死後、周囲にいた家臣たちも自害したという展開です。

ドラマのように勢いよく天守から飛び降りる最期とは、かなり違う姿になります。

柴田勝家とお市は二人とも切腹した?

「柴田勝家 お市 切腹」という点では、お市自身が勝家と並んで腹を切ったと考えるより、少し違った描写が史料に残されています。

『柴田退治記』では、「小谷御方」と記されたお市をはじめ、側室や女房衆に勝家自身が手をかけ、その後に勝家が切腹したという内容になっています。

秀吉の書状にも、勝家が妻子や一族に手をかけた後に最期を迎えたという趣旨の記述があります。

そのため、柴田勝家とお市の最期を史料に沿って表すなら、「夫婦そろって身投げ」でも「夫婦そろって切腹」でもなく、勝家がお市らに手をかけた後、自身は切腹したという姿が浮かび上がります。

ルイス・フロイスも柴田勝家の最期を「切腹」と伝えている

柴田勝家の最期については、豊臣方が残した日本側の記録だけではありません。

日本で活動したイエズス会宣教師ルイス・フロイスが伝えた北ノ庄城落城の様子にも、勝家が自ら腹を切ったという内容があります。

ルイス・フロイスの記録では腹を十字に切った

フロイスが伝えた内容では、落城を前にした北ノ庄城から戦闘の音が消え、代わりに歌声が聞こえていたとされています。

その後、勝家は城に火を放つ準備を進め、妻であるお市を含む女性たちに手をかけ、自分は短刀で腹を十字に切って最期を迎えたと記されています。

『柴田退治記』とは細部に違いがありますが、「勝家は身投げしたのではなく、自ら腹を切った」という部分は重なります。

勝家は老女に自分たちの最期を見届けさせた?

フロイスの記録で興味深いのが、勝家が自分たちの最期を外へ伝える人物を残したという話です。

勝家は、話の巧みな身分ある老女を選び、城内で起きることを見届けた後に外へ出て、敵方へ伝えるよう命じたとされています。

これが事実に近いとすれば、勝家はただ死を選んだのではなく、自分と家臣たちがどのような最期を迎えたのかまで後世に伝えようとしていたことになります。

『柴田退治記』にある「自分の切腹を敵にも見届けさせる」という話とも通じる部分があります。

柴田勝家とお市の身投げは『豊臣兄弟!』独自の演出だった?

ここまでの史料を見る限り、『豊臣兄弟!』第33回で描かれた柴田勝家と市の身投げを、そのまま史実の再現とするのは難しそうです。

秀吉の書状、『柴田退治記』、フロイスが伝えた内容はいずれも、勝家が北ノ庄城で自ら腹を切ったという方向で重なっています。

「二人で同じ場所から飛ぶ」ことで夫婦の最期を強く描いた可能性

ドラマでは勝家と市が手をつないだまま敵兵と戦い、そのまま二人で天守から身を投げました。

史料にある凄惨な自害をそのまま映像化するのではなく、二人が最後まで離れない姿を一つの場面に凝縮した演出と見ることができます。

山口馬木也さん自身も、勝家と市の墓を訪れた際に、二人がこれからも一緒にいられるような感覚を持ったことを語っています。最期の身投げは、そうした夫婦の結びつきを視覚的に表現した場面だったのかもしれません。

「身投げ」は史実と違っても勝家とお市の関係を象徴する場面に

『豊臣兄弟!』は歴史上の出来事を土台にしたドラマであり、第33回の最期も史料をそのまま再現したものではありません。

史料では勝家の切腹や、お市らに勝家自身が手をかけたというかなり凄惨な姿が伝えられています。

一方、ドラマでは勝家と市が最後まで手を離さず、二人で天守から飛ぶという形になりました。

史実との違いを知ったうえで見返すと、「どのように死んだか」以上に、「二人の関係をどのような最期として描くか」に重きを置いた場面だったことが伝わってきます。

【豊臣兄弟】柴田勝家の最期は身投げではなく切腹とする史料が有力

『豊臣兄弟!』第33回では、山口馬木也さん演じる柴田勝家と宮﨑あおいさん演じる市が、北庄城の天守から一緒に身投げする最期を迎えました。

しかし、史料に残る柴田勝家の最期は大きく異なります。

羽柴秀吉が小早川隆景へ送った書状では、勝家が自分の切腹を見届けるよう敵方へ呼びかけたとされ、『柴田退治記』でも勝家が腹を切った様子が詳しく記されています。ルイス・フロイスが伝えた内容でも、勝家はお市らに手をかけた後、自ら腹を切ったとされています。

そのため、「柴田勝家の最期は史実でも身投げだったのか」という疑問については、主要史料では身投げではなく切腹を伝える記録が有力という答えになります。

お市についても、勝家と一緒に天守から飛び降りたというより、勝家が先に手をかけ、その後に勝家自身が切腹したとする記録が残されています。

『豊臣兄弟!』の身投げは史料とは異なるものの、最後まで手を離さなかった勝家と市の夫婦像を強烈に印象づける、大河ドラマならではの最期だったといえそうです。

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